二条京極屋跡(読み)にじようきようごくかがりやあと

日本歴史地名大系 「二条京極屋跡」の解説

二条京極屋跡
にじようきようごくかがりやあと

暦仁元年(一二三八)鎌倉幕府が設置した京中警備のための武士詰所の一つ。嘉禎四年(一二三八)五月二四日付東寺宛北条泰時・時房連署書状(東寺百合文書)には「為洛中守護、可被居置武士於縦横大路之末候」とある。二条篝屋がこの時直ちに設置されたものであるか確定しがたいが、「増鏡」によれば、正応三年(一二九〇)三月九日夜、内裏二条富小路殿へ浅原八郎為頼が乱入した時「かかる程に、二条京極の篝屋備後の守とかや、五十余騎にて馳せ参てときをつくるに、合はする声、はつかに聞こえければ、心やすく内にまいる」とあり、この二条京極の篝屋には備後守某以下五〇余騎が備えていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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