増鏡(読み)マスカガミ

デジタル大辞泉 「増鏡」の意味・読み・例文・類語

ますかがみ【増鏡】

南北朝時代歴史物語。17巻。増補本もある。著者は二条良基説が有力。応安年間(1368~1375)に成立か。治承4年(1180)後鳥羽天皇誕生から元弘3=正慶2年(1333)後醍醐天皇還幸までの歴史を編年体で記したもの。四鏡の一。

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精選版 日本国語大辞典 「増鏡」の意味・読み・例文・類語

ますかがみ【増鏡】

  1. 南北朝時代の歴史物語。一七巻。また、一九巻・二〇巻の増補本がある。著者は二条良基説が有力。応安年間(一三六八‐七五)から永和二年(一三七六)頃の成立という。治承四年(一一八〇)の後鳥羽天皇の生誕から元弘三=正慶二年(一三三三)の後醍醐天皇の隠岐からの還幸までの一五〇余年の歴史を和文で綴る。「大鏡」にならい、戯曲的構成をもつが、編年体で記される点、「栄花物語」と近く、「源氏物語」の影響も目立つ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「増鏡」の意味・わかりやすい解説

増鏡
ますかがみ

南北朝時代の歴史物語。3巻。作者は二条良基(よしもと)が最有力視されている。成立年代については諸説があり、上限を1338年(延元3・暦応1)、下限を1376年(天授2・永和2)とするなど幅は広い。記載年代は後鳥羽(ごとば)天皇誕生の1180年(治承4)7月から1333年(元弘3・正慶2)6月後醍醐(ごだいご)天皇が隠岐(おき)から京都に還幸され、建武(けんむ)新政が樹立するまでのほぼ150年間を編年体で記す。形式は作者が嵯峨(さが)清凉寺に詣(もう)でた際に100歳を超える老尼が語った歴史を筆録したというもの。内容は承久(じょうきゅう)の乱と元弘(げんこう)の変を両極にして、その間の後鳥羽院の隠岐(おき)配流をはじめ、順徳(じゅんとく)上皇佐渡)、土御門(つちみかど)上皇(土佐、阿波(あわ))の遠島配流のようすや南北両朝迭立(てつりつ)に揺れ動く公武社会のようす、蒙古(もうこ)の襲来等を描く。とくに宮廷における行事や公家(くげ)の文化的生活についての記事は詳しい。鎌倉時代の歴史的な大事件にはほとんど触れているが、その史実の選択と視座に偏りがみられる。それは朝廷中心に描かれており、公家の目で世の中をみているところに特徴がある。公家社会から武家社会へと推移していく歴史の必然性に背を向け、幕府の独裁政治下にあって貴族社会時代の甘美な夢をみたとする説や、艶(えん)とあわれに満ちた文化的な生活が鎌倉時代の宮廷に一貫して存在し続けたことを立証しようとした気持ちが作者にあったとする説などがある。文章は『源氏物語』の影響を受けて優艶(ゆうえん)である。各巻名は「藤衣(ふじごろも)」「草枕(くさまくら)」「むら時雨(しぐれ)」など優雅な名がつけられている。

[祐野隆三]

『時枝誠記・木藤才蔵他校注『日本古典文学大系87 増鏡他』(1965・岩波書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「増鏡」の意味・わかりやすい解説

増鏡 (ますかがみ)

南北朝時代の歴史物語。17巻本と20巻本がある。著者は二条良基が有力視されるが,確証はない。《大鏡》《今鏡》《水鏡》とならぶ〈四鏡〉最後の作品。《今鏡》のあとをうけて,後鳥羽院誕生の1180年(治承4)から,隠岐に流されていた後醍醐天皇が京都に帰還する1333年(元弘3)までの150年間を編年体で記す。第1巻〈おどろの下〉~第4巻〈三神山〉では,後鳥羽院の治政と承久の変による院の隠岐への配流,第5巻〈内野の雪〉~第10巻〈老のなみ〉では,後嵯峨・後深草・亀山天皇の時代を扱い,その宮廷風俗や,この時期に外戚として勢力を持つに至った西園寺家のありさまを述べる。第11巻〈さしぐし〉~第17巻〈月草の花〉は,後醍醐天皇の倒幕の動きとその失敗,隠岐への配流を語り,最後に鎌倉幕府の滅亡と後醍醐天皇の上洛を述べて筆を置く。内容は皇位の継承を軸にした宮廷社会のできごとを主とし,後深草・亀山両帝の後宮における男女関係の秘話にまで言及するが,他方,武士,すなわち鎌倉幕府についての記述はきわめて少ない。文章は,《源氏物語》《栄華物語》など平安朝物語に倣った擬古文で,なかでも《源氏物語》の影響は文章のみにとどまらず,後鳥羽院,後醍醐天皇の隠岐配流を,いずれも光源氏の須磨のわび住いになぞらえて語っている。
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百科事典マイペディア 「増鏡」の意味・わかりやすい解説

増鏡【ますかがみ】

歴史物語。南北朝時代中ごろに成立。作者は二条良基説が有力だが,確かではない。後鳥羽天皇から後醍醐天皇までの事跡を《源氏物語》など平安朝の物語にならった擬古文で編年に記す。宮廷生活にはその秘話にまで筆が及んでいるが,武士,鎌倉幕府についての記述はきわめて少ない。比較的正確に史実をふまえる。《大鏡》《今鏡》《水鏡》とともに四鏡といわれる。
→関連項目五代帝王物語

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「増鏡」の意味・わかりやすい解説

増鏡
ますかがみ

南北朝時代の歴史物語。作者は二条良基か。巻冊数不定。『水鏡』『大鏡』とともに三鏡の一つ,『今鏡』を加えて四鏡の一つで,鏡物最後の作。元弘3=正慶2 (1333) ~天授2=永和2 (76) 年頃成立。治承4 (1180) 年7月後鳥羽天皇誕生から元弘3=正慶2年6月後醍醐天皇の隠岐からの還幸までの 154年間の事跡を編年体で記したもの。承久の乱と元弘の乱という二大事件を山として,当時の公家の記録や日記類を多数引用し,和文脈の文章で叙述を進めている。公家の側に立って,朝廷を中心に宮中の儀式や御遊のありさまなどを主として描き,王朝生活への憧憬が著しい。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「増鏡」の解説

増鏡
ますかがみ

中世の歴史物語。作者は不詳だが,二条良基(よしもと)とする説がある。1376年(永和2・天授2)以前の成立。1180年(治承4)の後鳥羽天皇の誕生から,1333年(元弘3)後醍醐天皇が隠岐から帰洛するまでの,天皇を中心とする優雅な貴族の歴史を編年体で描き,とくに後醍醐治世の時期に詳しい。嵯峨の清涼(せいりょう)寺で,筆者が80余歳の尼から聞いた昔物語を記すという体裁をとる。先行の日記・和歌集などを素材とし,文章をはじめ「源氏物語」の影響が強い。伝本は,17巻の古本系と,19または20巻の増補本系にわかれ,後者にも室町初期の古写本がある。「大鏡」などいわゆる四鏡(しきょう)最後の作品。「日本古典文学大系」所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「増鏡」の解説

増鏡
ますかがみ

南北朝時代の歴史物語。四鏡の最後
14世紀中ごろの成立。20章。作者不詳(二条良基が有力)。1180年後鳥羽天皇生誕から1333年後醍醐 (ごだいご) 天皇の隠岐 (おき) からの帰還まで,15代約150年間の史書。王朝と幕府との内乱衝突を描くことが主題。文体は擬古文で『源氏物語』などを借用したといわれ,流麗優雅である。

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