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二条持通 にじょう もちみち

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美術人名辞典の解説

二条持通

室町中期の公卿。持基の子。38才で関白に至る。書流系譜の本である『古筆流儀別』ほか三種の「勅筆流」の項に名が挙げられており、当時能書家として認められる存在であった。明応2年(1493)歿、78才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

二条持通 にじょう-もちみち

1416-1493 室町時代の公卿(くぎょう)。
応永23年生まれ。二条持基(もちもと)の子。永享2年従三位。享徳2年,4年,寛正(かんしょう)4年と3度関白となり,この間の長禄(ちょうろく)2年には太政大臣となった。延徳元年准三宮(じゅさんぐう)。従一位。明応2年1月12日死去。78歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

二条持通

没年:明応2.1.12(1493.1.29)
生年:応永23(1416)
室町時代の公家。父は二条持基。永享2(1430)年従三位。文安3(1446)年右大臣を経て,2度関白に就いたのち太政大臣に転じ,寛正4(1463)年3度目の関白に就任。足利義政に接近を図り,寛正3年息子を義政の猶子とし,大乗院(門跡寺院)へ送った。大乗院には九条・一条両家から入るのが通例であったため,一条兼良による異議もあったが,大乗院門跡経覚の意見により入室,法名を政覚と称す。これは義政から諱の1字をもらったものであるが,持通はその斡旋を日野勝光に求めている。さらに持通は,文明15(1483)年政覚の興福寺別当宣下の執奏を義政に請うてもいる。しかし生活には衰退の兆しがあり,若狭高浜に二条家領があったことから文明17年,70歳の高齢をおして若狭,越前に下る。帰京後の延徳1(1489)年,准三后宣下。のち出家し,大染金剛院と号した。<参考文献>鈴木良一『大乗院寺社雑事記

(湯川敏治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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