朝日日本歴史人物事典 「二条教定」の解説
二条教定
生年:生年不詳
鎌倉中期の公家。藤原頼経・頼嗣,宗尊親王の3代の将軍に仕えた関東祗候の廷臣。飛鳥井雅経の子。母は,大江広元の娘。飛鳥井家は,蹴鞠,和歌を家学とした。北条実時の娘を妻に迎え,雅有が生まれる。また,妹が安達義景に嫁ぐ。侍従,少将,中将,右兵衛督を経て,建長5(1253)年に従三位に叙された。正嘉2(1258)年正三位に昇る。文応1(1260)年,左兵衛督。教定の日記は,『吾妻鏡』編纂の史料に使われた。<参考文献>益田宗「所謂吾妻鏡断簡について」(『日本歴史』179号)
(永井晋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報