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二条教定 にじょうのりさだ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

二条教定
にじょうのりさだ

[生]?
[没]文永3(1266).4.8. 鎌倉
鎌倉時代の公卿,歌人。飛鳥井 (あすかい) 氏。父は雅経。母は大江広元の娘。正三位,左兵衛督。鎌倉に在住して,将軍九条頼経,頼嗣,宗尊親王に仕えた。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

二条教定 にじょう-のりさだ

飛鳥井教定(あすかい-のりさだ)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

二条教定

没年:文永3.4.8(1266.5.14)
生年:生年不詳
鎌倉中期の公家。藤原頼経・頼嗣,宗尊親王の3代の将軍に仕えた関東祗候の廷臣。飛鳥井雅経の子。母は,大江広元の娘。飛鳥井家は,蹴鞠,和歌を家学とした。北条実時の娘を妻に迎え,雅有が生まれる。また,妹が安達義景に嫁ぐ。侍従,少将,中将,右兵衛督を経て,建長5(1253)年に従三位に叙された。正嘉2(1258)年正三位に昇る。文応1(1260)年,左兵衛督。教定の日記は,『吾妻鏡』編纂の史料に使われた。<参考文献>益田宗「所謂吾妻鏡断簡について」(『日本歴史』179号)

(永井晋)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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