宗尊親王(読み)ムネタカシンノウ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宗尊親王 むねたかしんのう

1242-1274 鎌倉幕府6代将軍。在職1252-66。
仁治(にんじ)3年11月22日生まれ。後嵯峨(ごさが)天皇の皇子。母は平棟子。初の皇族将軍。中書王とよばれた。文永3年謀反の疑いで京都に追放され,9年出家。鎌倉歌壇の中心的存在で,生涯に三千余首を作歌,勅撰集には「続古今和歌集」以下に190首はいっている。文永11年8月1日死去。33歳。家集に「瓊玉(けいぎょく)和歌集」など。
【格言など】今朝みれば山も霞みて久方の天の原より春は来にけり(「金槐和歌集」)

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世界大百科事典 第2版の解説

むねたかしんのう【宗尊親王】

1242‐74(仁治3‐文永11)
鎌倉幕府6代将軍。後嵯峨天皇第1皇子。後深草天皇,亀山天皇の兄。母は平棟子。1244年(寛元2)親王となり,52年(建長4)元服,三品となる。同年幕府は将軍藤原頼嗣を廃し,宗尊親王が鎌倉に迎えられて征夷大将軍となった。親王将軍の始めである。60年(文応1)前執権北条時頼は故摂政近衛兼経の娘宰子を猶子とし,親王の御息所(みやすどころ)とした。64年(文永1)に王子惟康が生まれ,65年宗尊親王は一品中務卿となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宗尊親王
むねたかしんのう

[生]仁治3(1242).11.22. 京都
[没]文永11(1274).7.29. 京都
鎌倉幕府6代将軍 (在職 1252~66) ,歌人。後嵯峨天皇の第1皇子。母は平棟基 (一説に棟範) の女,四条院兵衛の内侍 (ないし) 。建長4 (52) 年藤原頼嗣に代って,最初の宮将軍として鎌倉に下向,文永2 (65) 年一品中務卿。同3年7月4日北条氏に対して謀反を企てた嫌疑により廃せられるまで,征夷大将軍の地位にあった。将軍を廃せられて帰京後出家し,不遇のうちにした。和歌は藤原為家,基家,光俊 (弁入道真観) らに師事し,鎌倉幕府でしばしば歌会,歌合 (うたあわせ) を主催した。『柳葉和歌集』『瓊玉 (けいぎょく) 和歌集』 (真観撰) など,数種の家集が存する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宗尊親王
むねたかしんのう
(1242―1274)

鎌倉幕府第6代将軍。仁治(にんじ)3年11月22日、後嵯峨(ごさが)天皇の第1皇子として生まれる。母は平棟子。1244年(寛元2)親王にたち、52年(建長4)元服、関東に下向し藤原頼嗣(よりつぐ)にかわって征夷(せいい)大将軍となった。藤原光俊(みつとし)(真観)を師として和歌をたしなみ、関東歌壇確立の中心となったが、66年(文永3)幕府転覆の嫌疑により京に送還された。72年出家し(法名行証)、文永(ぶんえい)11年7月30日没した。家集に『瓊玉(けいぎょく)和歌集』などがある。

[近藤成一]

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367日誕生日大事典の解説

宗尊親王 (むねたかしんのう)

生年月日:1242年11月22日
鎌倉時代前期の鎌倉幕府第6代の将軍
1274年没

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精選版 日本国語大辞典の解説

むねたか‐しんのう ‥シンワウ【宗尊親王】

鎌倉中期の歌人。鎌倉幕府六代将軍。後嵯峨天皇の皇子。母は平棟子。建長四年(一二五二)鎌倉に下向して将軍となる。文永三年(一二六六)北条氏に対する謀反の疑いで将軍職を追われ帰京。法名行証、覚恵。「万葉集」の言葉などを用いて多くの作品を残した。歌集に、「瓊玉和歌集」「柳葉和歌集」「中書王御詠」「竹風和歌抄」など。仁治三~文永一一年(一二四二‐七四

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

宗尊親王
むねたかしんのう

1242〜74
鎌倉幕府第6代将軍(在職1252〜66)
後嵯峨天皇の第2皇子。1252年,10歳で最初の皇族(親王)将軍として鎌倉に下向し,征夷大将軍となる。'66年謀反の疑いで京都に追われた。和歌にすぐれ,『柳葉和歌集』『初心愚草』などがある。

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世界大百科事典内の宗尊親王の言及

【後嵯峨天皇】より

…この評定と奏事を柱とする執政方式は,27年間にわたる上皇の院政のもとで定着し,多少の手を加えながらも,基本的には以後の公家政権に引き継がれた。また幕府の要請をいれて皇子宗尊親王を将軍として鎌倉にくだし,朝幕の提携を強化した。宮将軍の初めである。…

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