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宗尊親王 むねたかしんのう

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美術人名辞典の解説

宗尊親王

鎌倉中期の親王・鎌倉幕府第六代将軍。後嵯峨天皇の第二皇子。母は准三宮平棟子。後深草天皇の猶子。法名は行証・覚恵。鎌倉幕府の要請により、関東に出向して、皇族最初の征夷大将軍に就任した。和歌に長じ、家集に『初心愚草』『柳葉和歌集』『瓊玉和歌集』等がある。また和歌六十七首が『続古今集』に収められている。文永11年(1274)薨去、33才。

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デジタル大辞泉の解説

むねたか‐しんのう〔‐シンワウ〕【宗尊親王】

[1242~1274]鎌倉幕府第6代将軍。在職1252~1266。後嵯峨天皇の皇子。謀反の疑いで京に送還され、のち出家。歌集「柳葉和歌集」など。

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百科事典マイペディアの解説

宗尊親王【むねたかしんのう】

鎌倉幕府6代将軍後嵯峨天皇皇子。1252年将軍藤原頼嗣が廃せられ,初めての親王将軍として鎌倉に下向。1266年幕府への謀反の疑いで将軍職を追われ帰京。その後出家。
→関連項目引間

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宗尊親王 むねたかしんのう

1242-1274 鎌倉幕府6代将軍。在職1252-66。
仁治(にんじ)3年11月22日生まれ。後嵯峨(ごさが)天皇の皇子。母は平棟子。初の皇族将軍。中書王とよばれた。文永3年謀反の疑いで京都に追放され,9年出家。鎌倉歌壇の中心的存在で,生涯に三千余首を作歌,勅撰集には「続古今和歌集」以下に190首はいっている。文永11年8月1日死去。33歳。家集に「瓊玉(けいぎょく)和歌集」など。
【格言など】今朝みれば山も霞みて久方の天の原より春は来にけり(「金槐和歌集」)

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世界大百科事典 第2版の解説

むねたかしんのう【宗尊親王】

1242‐74(仁治3‐文永11)
鎌倉幕府6代将軍。後嵯峨天皇第1皇子。後深草天皇,亀山天皇の兄。母は平棟子。1244年(寛元2)親王となり,52年(建長4)元服,三品となる。同年幕府は将軍藤原頼嗣を廃し,宗尊親王が鎌倉に迎えられて征夷大将軍となった。親王将軍の始めである。60年(文応1)前執権北条時頼は故摂政近衛兼経の娘宰子を猶子とし,親王の御息所(みやすどころ)とした。64年(文永1)に王子惟康が生まれ,65年宗尊親王は一品中務卿となった。

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大辞林 第三版の解説

むねたかしんのう【宗尊親王】

1242~1274) 鎌倉幕府第六代将軍(在位1252~1266)。後嵯峨天皇の皇子。最初の皇族将軍。謀反の疑いで京に追われた。歌集「柳葉和歌集」ほか。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宗尊親王
むねたかしんのう

[生]仁治3(1242).11.22. 京都
[没]文永11(1274).7.29. 京都
鎌倉幕府6代将軍 (在職 1252~66) ,歌人。後嵯峨天皇の第1皇子。母は平棟基 (一説に棟範) の女,四条院兵衛の内侍 (ないし) 。建長4 (52) 年藤原頼嗣に代って,最初の宮将軍として鎌倉に下向,文永2 (65) 年一品中務卿。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宗尊親王
むねたかしんのう
(1242―1274)

鎌倉幕府第6代将軍。仁治(にんじ)3年11月22日、後嵯峨(ごさが)天皇の第1皇子として生まれる。母は平棟子。1244年(寛元2)親王にたち、52年(建長4)元服、関東に下向し藤原頼嗣(よりつぐ)にかわって征夷(せいい)大将軍となった。藤原光俊(みつとし)(真観)を師として和歌をたしなみ、関東歌壇確立の中心となったが、66年(文永3)幕府転覆の嫌疑により京に送還された。72年出家し(法名行証)、文永(ぶんえい)11年7月30日没した。家集に『瓊玉(けいぎょく)和歌集』などがある。[近藤成一]

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世界大百科事典内の宗尊親王の言及

【後嵯峨天皇】より

…この評定と奏事を柱とする執政方式は,27年間にわたる上皇の院政のもとで定着し,多少の手を加えながらも,基本的には以後の公家政権に引き継がれた。また幕府の要請をいれて皇子宗尊親王を将軍として鎌倉にくだし,朝幕の提携を強化した。宮将軍の初めである。…

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