日本歴史地名大系 「二条高倉殿跡」の解説 二条高倉殿跡にじようたかくらどのあと 京都市:中京区初音学区鍵屋町二条高倉殿跡鎌倉後期の里内裏の一つで、弘長二年(一二六二)亀山天皇が遷幸(続史愚抄・仁部記)してより二条高倉殿の名でよばれるが、その所在地は二条内裏と同所で、現在の鍵屋(かぎや)町を中心に、瓦之(かわらの)町東側、左京(さきよう)町北側、瓦町西側を含む方一町の地域に比定される。文永元年(一二六四)には日吉社の神輿三基が入洛し、併せて、赤山(せきざん)・祇園(ぎおん)・北野(きたの)などの神輿を二条高倉内裏、冷泉高倉などに振棄てたとみえ(帝王編年記)、文永一一年には後宇多天皇がこの邸で即位している(践祚部類抄)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by