江戸時代、両国の川開きにあげる仕掛け花火の製造元で、草分け的存在である。1658年(万治1)に大和(やまと)国(奈良県)の篠原(しのはら)(現五條(ごじょう)市大塔(おおとう)町篠原)から江戸に出てきた初代の鍵屋弥兵衛(やへえ)が、幕府の狼烟(のろし)方の打上げを見て玩具(がんぐ)花火を考案したという。1717年(享保2)水神祭の夜、余興として献上花火を打上げたのが、納涼花火の起源である。店は日本橋横山町にあった。6代目のとき番頭清吉を分家し、両国吉川町に「玉屋」をもたせ、以後この2軒で両国橋の上下流を二分して請け負った。趣向を凝らした華麗な花火は、見物人から「鍵屋!」「玉屋!」と掛け声がかかり、まさに江戸の名物であった。のちに玉屋は出火により断絶、鍵屋のみが明治まで続いた。
[稲垣史生]
…大花火には〈しだれ柳〉〈大桜〉〈天下泰平の文字うつり〉〈流星〉〈ぼたん〉〈ちょう(蝶)〉〈ぶどう〉などがあり,見物人は両国橋界わいに集まるほか,屋形船を浮かべてこれを見物した。両国横山町の鍵(かぎ)屋,鍵屋から別家した両国吉川町の玉屋がその花火の製造元であった。 日本で花火の色彩が明確に現れはじめたのは,塩素酸カリウムが輸入されるようになってからで,1879年ころからといわれ,その後つぎつぎと新しい化学薬品が導入されるようになった。…
※「鍵屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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