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仙洞御所 セントウゴショ

デジタル大辞泉の解説

せんとう‐ごしょ【仙洞御所】

上皇御所

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百科事典マイペディアの解説

仙洞御所【せんとうごしょ】

上皇の御所。仙洞などとも称した。仙洞は不老長寿の仙人の住居の意。仁明(にんみょう)天皇以後,天皇は在位中に譲位後の隠居所を指定し,これを後院(ごいん)と呼んだが,江戸時代中ごろから上皇不在の間の仙洞御所を後院と称した。
→関連項目大宮御所花の御所

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世界大百科事典 第2版の解説

せんとうごしょ【仙洞御所】

現在の京都御苑内にあった院御所と庭園。京都御所の東南に位置しており,約9万m2の境域を占め,仙洞御所と大宮御所からなる。仙洞とは太上天皇の居所を意味し,現在の位置に仙洞御所が創建されたのは1627年(寛永4)に後水尾天皇の譲位を予定して幕府が造営に着手し,30年に完成した後水尾院御所であり,同時に後水尾院中宮東福門院の御所が仙洞東北に造営された。後水尾院御所は数度焼失しそのつど再建されたが,霊元院のときの1708年(宝永5)に焼失し,再建されたものは中御門,桜町,後桜町院によって仙洞とされた。

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大辞林 第三版の解説

せんとうごしょ【仙洞御所】

仙洞 」に同じ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

仙洞御所
せんとうごしょ

上皇、法皇の御所。院の御所ともいう。平安初期以降、天皇は譲位すると内裏(だいり)を出て別の御所に移るのが例となった。これが仙洞御所で、家政機関である院庁(いんのちょう)が置かれ、院司(いんし)が定められた。平安中期以後は里内裏(さとだいり)を院の御所とすることも多く、とくに院政期には院の活動が活発化し、各所に仙洞ができた。中世以後、武士の勢力が増すにつれて衰亡し、近世になると幕府によって内裏(現在の京都御所)の周辺に集中させられた。現在、京都御所の南東に残る仙洞御所は、1630年(寛永7)小堀遠州(こぼりえんしゅう)を奉行として後水尾(ごみずのお)天皇のために造営された。1854年(安政1)焼失のおりに、仙洞に住むべき院が不在であったため再建されず、いまは庭園のみが残っている。[吉田早苗]

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世界大百科事典内の仙洞御所の言及

【後院】より

…平安内裏の本宮に対する予備の別宮。のちには上皇の御所に充てられることが多くなり,江戸時代中ごろから上皇不在の間の仙洞御所の称となった。後院の文献上の確実な初見は仁明天皇の後院で,従前の離宮の一つである冷然院を後院とし,842年(承和9)には内裏修理の間,ここに移った。…

【藐姑射】より

…《荘子》逍遥遊篇によれば,この山には,肌は雪のように白く,肢体は処女のようにしなやかで,五穀を食わずに風や露を糧とし,雲に乗り竜にまたがって宇宙の間を自在に飛翔し,ひとたび精神を集中すれば,あらゆるものを疫病や災禍から救いあげられる神人が住むという。日本では転じて仙洞御所を別称する。【麦谷 邦夫】。…

※「仙洞御所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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