鍵屋町(読み)かぎやちよう

日本歴史地名大系 「鍵屋町」の解説

鍵屋町
かぎやちよう

下京区鍵屋町通室町東入

東西に通る鍵屋町通を挟む両側町。中央を南北に諏訪町すわんちよう通が通る。

平安京の条坊では、左京六条三坊三保一二町北側の地。平安時代は、当町は藤原信家の六条中院なかのいんの北半部であった(拾芥抄)。左に掲げる建久五年(一一九四)一〇月の僧某売券(久我家文書)にも「左京六条三坊十二町西二三行北一二門内」という条坊標示がなされているが、端裏書にある「やまもゝからすまろ(楊梅烏丸)」という道路名を基軸とする地点標示のほうが一般に通用していたもので、条坊表示は他の例からしても、ことさら古い形式で記されたものであろう。


鍵屋町
かぎやちよう

東山区問屋町通五条下ル四丁目

問屋町といやまち通に位置。北は東・西たちばな町、南は正面しようめん通、西は鴨川。

宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」問屋町通の項に「同(五条下ル)四町目 鍵屋町 此町の南の辻、大仏正面通にて、行当也」とある。

「坊目誌」所引の慶長一五年(一六一〇)一〇月一〇日付文書に「大仏しゆしやか通かぎ屋町十石一斗九升」とある。ただし寛文五年(一六六五)刊「京雀」以下の地誌類には朱雀すじやく町・上人しようにん町・橘町の三町のみを記して「このみなみは行あたり也」と記し、地図にも記載をみない。鍵屋町の名は地誌では先引「京町鑑」、板行地図でははるかに下って天保二年(一八三一)改正京町絵図細見大成をまたねばならない。


鍵屋町
かぎやまち

[現在地名]大津市長等ながら三丁目

菱屋ひしや町の北に位置し、東は元会所もとかいしよ町。町名豪商の鍵屋に由来するという(大津市志)。天和二年(一六八二)の本堂奉加帳(九品寺文書)に町名がみえ、元禄八年町絵図では家数三六で、町の西側中央に番屋(町之家)がある。文政元年(一八一八)幕府御用金一千一〇〇両は杓子屋五兵衛が負担、慶応元年(一八六五)大津宿役を負担した役家数三五軒(大津市志)。天保五年(一八三四)近江屋喜兵衛は絞草油売買の油株印札を下されている(同書)。同一五年株仲間解散に伴い当町の丸屋長三郎・近江屋宗次郎らが届出なしで新規に米商売を行ったとして、米方取締役銭屋彦兵衛から支障を申付けられている(大津御用米会所要用帳)


鍵屋町
かぎやちよう

下京区麩屋町通高辻下ル

南北に通る麩屋町ふやちよう(旧富小路)を挟む両側町。

平安京の条坊では町の西側は左京五条四坊三保一二町の東、町の東側は同一三町の西にあたり、平安時代中期以降は高辻富小路の地。応永三二年(一四二五)・三三年の酒屋交名(北野天満宮史料)に「侍従 五条富少路東北頬 慶祐在判」とあり、室町時代の商業の中心をなした酒屋が当町にも所在。また「坊目誌」によると、中世には清水地主きよみずじしゆ神社(現東山区)御旅所があったが、松原広道まつばらひろみち(現東山区)に移ったとある。


鍵屋町
かぎやちよう

中京区間之町通二条下ル

南北に通る間之町あいのまち通を挟む両側町。平安京の条坊では、左京三条四坊一保一町の中央部の地。

御堂関白記」長和五年(一〇一六)八月二八日条に「亥時許東南方有火、従二条南、従東洞院大路東北辺乃高倉小路云々、依一品宮(脩子内親王)近以理義朝臣令申事由」とあり、当町近辺に脩子内親王の御所があったことがうかがわれる。

町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「駿河屋丁」とあり、筆描図系の絵図では以後変化はない。木版図系では、寛永一八年以前平安城町並図に「きせるや町」とあり、以降そのまま変化なく、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」で「鍵屋丁」となる。


鍵屋町
かぎやちよう

下京区正面通木屋町東入北側

東西に通る正面しようめん(旧七条坊門小路)に南面する片側町であるが、西は木屋町きやまち通にも面し、町の中央をさん宮町みやちよう通が通る。

平安京の条坊では左京七条四坊四保一五町南側と七条坊門小路上、平安中期以降は七条坊門富小路の地。町域は平安時代の左大臣源融の別荘河原院かわらのいんの一部にあたる(拾芥抄)


鍵屋町
かぎやちよう

[現在地名]伏見区深草北ふかくさきた鍵屋町

南蓮池みなみはすいけ町の南、山村やまむら町の北に位置する町。明治一〇年代の「京都府地誌」に「桃山城米廩ノ鍵預人所居、因テ町名トス」とある。

文字の類似から当町の二丁南の鑓屋やりや町とよく混同される。「豊公伏見城ノ図」では、鑓屋町を二つに分けて、北鍵屋町・南鍵屋町と記し、「御大礼記念伏見町誌」や「新市域各町誌」にも、両町を混同した記述が散見する。

「豊公伏見城ノ図」には、道路の東西両側に町家があり、その背後にそれぞれ武家屋敷が並び、町家裏の武家屋敷は、東側北から近藤信濃守・平岡石見守と記され、西側も北から順に谷出羽守・松平佐渡守と記される。


鍵屋町
かぎやちよう

中京区丸太町通柳馬場西入

東西に通る丸太町まるたまち(旧春日小路)に北面する片側町。町の中央を南北に堺町さかいまち通が通る。

平安京の条坊では、左京二条四坊一保七町の北側中央付近にあたる。

平安時代には、藤原遠規の亭の一部にあたる(帝王編年記)。また藤原氏の別邸の一で藤原頼長が長承四年(一一三五)より久安六年(一一五〇)まで住んだ大炊御門高倉亭があった(台記別記)

寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「かきや丁」、寛永一八年以前平安城町並図は「はきや丁」、寛永版平安城東西南北町並之図・承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図は「桑原町」、寛文五年(一六六五)刊「京雀」以降は「かぎや丁」とある。


鍵屋町
かぎやちよう

下京区若宮通正面下ル

南北に通る若宮わかみや通を挟む両側町。

平安京の条坊では、左京七条三坊二保三町の地。

近世には西本願寺寺内町となり、寺内九町組のうち若宮組に所属。地子屋敷町。寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「若宮図子三丁目」とあるが、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「若宮町三町目 かぎや町とも云」と記される。両町名が併用されたのであろう。町名由来は「坊目誌」に「元鍵屋と号する巨商此に住せしより。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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