すべて 

二間在家村(読み)にけんざいけむら

日本歴史地名大系 「二間在家村」の解説

二間在家村
にけんざいけむら

[現在地名]只見町二軒在家

和泉田いずみた(現南郷村)の西、伊南いな川左岸にあり、東をしおまた川が流れ伊南川に注ぐ。北西に端村九九生くぐりゆうがある。天正一七年(一五八九)一二月一一日の伊達政宗充行状案(伊達家文書)によると簗取右衛門が「本領中伊北五百分二間在家」を宛行われている。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に「二間在家 七十六石七斗七升」とある。慶長二年(一五九七)の藤三郎倉入在々高物成帳(福島県史)でも同高で免四ツ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

すべて 

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む