日本歴史地名大系 「五分一町」の解説 五分一町ごぶのいちまち 兵庫県:明石市明石城下五分一町[現在地名]明石市材木町(ざいもくちよう)・日富美町(ひふみちよう)西樽屋(にしたるや)町の南側にあった町。東は材木町・西水主(にしかこ)町、西は三番(さんばん)町、南には新浜(しんはま)があった。明石藩の帆別役所の役人が住んだ家中町の一つ。享保年間(一七一六―三六)の明石城下図、文久三年(一八六三)の明石町旧全図に町名の記載がある。もとは西樽屋町のうちで紺屋(こんや)町と称した。五分一町の町名は、当町の西側にあった明石湊の出入湊税を取扱った帆別役所の役宅があり、収納した税を役所・明石町・郡代官所・下役人の間で五分割していたことに由来する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by