五輪塚村(読み)ごりんづかむら

日本歴史地名大系 「五輪塚村」の解説

五輪塚村
ごりんづかむら

[現在地名]大田原市美原みはら一―三丁目

那須扇状地扇端にあり、南を日光北街道が東から南西に、北を下石上しもいしがみ村への道が通る。東は大田原北町おおたわらきたまち村、西はばらざわを境に原町はらまち村、西にしの原が広がる。寛文四年(一六六四)の大田原藩領知目録には五倫塚村とみえ、元禄郷帳では大田原北町枝郷と注記される。奥州街道大田原宿の大助郷高七石を勤める(「大田原宿宿方明細書上帳」大田原市教育委員会蔵)。文政二年(一八一九)藩主大田原愛清が西の原で狩猟を行い、勢子一六〇名・猟師四九名、犬二五頭が動員された(「万年日記」阿久津モト文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む