日本歴史地名大系 「大田原市」の解説 大田原市おおたわらし 面積:一三四・八八平方キロ県北東部、那須野ヶ原台地のほぼ中央に位置する。東は那須郡黒羽(くろばね)町・湯津上(ゆづかみ)村、西は矢板市・那須郡西那須野(にしなすの)町、南は同郡小川(おがわ)町・塩谷郡喜連川(きつれがわ)町、北は黒磯市。東西約一七・一キロ、南北約一八・三キロ。市域の大部分は扇状地の扇端部にあり、蛇尾(さび)川(じゃび川ともいう)が中ほどを南に流れ、南端で箒(ほうき)川と合流する。市域は五地区に分けられ、中心部の旧城下町大田原地区の市街地は、蛇尾川右岸河岸段丘上西麓に開ける。同川左岸の金田(かねだ)地区は、北西から南東に台地が走り南東端の金丸原(かねまるはら)丘陵が最も広い。平地部には湯坂(ゆざか)川・相(あい)ノ川・熊(くま)川・巻(まき)川が流れ田畑が広がる。大田原地区南の親園(ちかその)地区は、東西に長く南北に狭い平地で耕地が開け、南辺を箒川が地区境に沿って東流する。また平地には不動(ふどう)川・町井(まちい)川・屋島(やしま)川・百村(もむら)川・念仏(ねんぶつ)川・深(ふか)川がいずれも南東へ流れ、国指定天然記念物ミヤコタナゴや県指定天然記念物イトヨ(俗名どげ魚)が生息する。市西部の野崎(のざき)地区は東西に狭く南北に長い地形で、西境を流れる箒川は途中から南東方に向きを変え矢板市との境になる。同川東岸平地には耕地が開け、北部に工業団地がある。佐久山(さくやま)地区は箒川右岸の河岸段丘と塩那(えんな)丘陵地帯にある。国道四号が野崎地区の南から北東に西那須野町に抜け、金田地区南端部湯津上村境から市街地中央部を国道四〇〇号が北西へ通る。大田原の地名は、応仁二年(一四六八)の宗祇の「白河紀行」に「くるゝほどに。大俵といふ所にいたるに」とみえる。〔原始〕遺跡は佐久山地区に多く、琵琶池(びわいけ)の東部丘陵地帯から市内最古の先土器時代の尖頭器が発見されている。縄文時代早期の遺跡は前大神南部(まえおおかみなんぶ)遺跡、前期の大神前山(おおかみまえやま)遺跡・佐久山赤坂(さくやまあかさか)遺跡、中期の高山(たかやま)遺跡をはじめ箒川右岸河岸段丘と塩那丘陵地帯にまとまりをみせる。縄文中期の遺跡はほかに北金丸の白旗(しらはた)丘陵上の湯坂遺跡、乙連沢(おとれざわ)東方の丘陵上にある広大な遺物散布地の長者平(ちようじやだいら)遺跡、下石上の縄落(しもいしがみのなおろし)遺跡がある。晩期の遺跡は少ないが、蛇尾川右岸の真子(まご)遺跡は近県でも類例が少ない敷石住居跡・配石遺構が確認されている。弥生時代の遺跡はわずかに数ヵ所で土器が採集されたにすぎない。古墳は薄葉大塚(うすばおおつか)古墳・金丸塚(かねまるづか)古墳・小滝大塚(こだきおおつか)古墳のみ確認されているが、発掘調査は行われていない。〔古代・中世〕初め那須国に属し、同国は持統天皇三年(六八九)に下毛野国那須郡となった。律令制下では那須郡・塩屋(しおや)(谷)郡に含まれ、「和名抄」の那須郡那須郷、塩屋郡山下(やました)郷・余戸(あまるべ)郷を市域内に比定する説がある。 大田原市おおたわらし 2005年10月1日:大田原市が那須郡湯津上村・黒羽町を編入⇒【黒羽町】栃木県:那須郡⇒【湯津上村】栃木県:那須郡⇒【大田原市】栃木県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大田原市」の意味・わかりやすい解説 大田原〔市〕おおたわら 栃木県北東部,那須野原の東部から八溝山地の西斜面にかけて広がる市。中央部を那珂川が貫流し,北東で福島県に,東で茨城県に接する。 1954年大田原町と金田村,親園村が合体して市制。 1955年佐久山町,2005年湯津上村と黒羽町を編入。中心市街地の大田原は中世以来大俵氏の城下町。近世は奥州街道の宿場町で,ここで日光北街道が分かれる。県北の行政,商業,教育の中心地。米作,酪農,野菜栽培を中心とした農業が行なわれる。機械,木材・木製品,食料品などの中小工場が立地。光真寺,那須神社など古社寺も多い。笠石神社にまつられる那須国造碑は国宝,侍塚古墳は国の史跡に指定。鎌倉時代に開かれた雲巌寺には,国指定重要文化財の絹本著色仏応禅師像などの寺宝がある。市内に生息するミヤコタナゴは国の天然記念物に指定。市域の一部は八溝県立自然公園に属する。 JR宇都宮線が市の西部を通り,国道4号線,294号線,400号線,461号線が通じる。面積 354.36km2。人口 7万2087(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by