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狩猟 シュリョウ

6件 の用語解説(狩猟の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

しゅ‐りょう〔‐レフ〕【狩猟】

[名](スル)山野の鳥獣を銃・網・わななどを使って捕らえること。狩り。猟。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
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百科事典マイペディアの解説

狩猟【しゅりょう】

野生の鳥獣を各種の猟具や猟犬を用いて捕獲すること。農耕,牧畜の行われる以前には,採集漁労とならび食料獲得のための重要な手段であったが,のち洋の東西を問わず王侯貴族の間で鷹狩等の娯楽として発達した。
→関連項目釣り猟期猟区猟師猟銃

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世界大百科事典 第2版の解説

しゅりょう【狩猟】

日本語で〈かり(狩り)〉というのは本来はいまより狭義に,特定の野獣のみに対して用いたらしく,《狩詞記(かりことばのき)》(多賀高忠著,1464年(寛正5)刊)には鹿に限って用いている。現代の南西諸島では猪を捕らえることだけを〈カリ〉と呼んでいるのが,中世的用語のなごりらしい。それを拡張して小獣の狐や兎あるいは野鳥などを追い捕らえること,さらにはキノコを採り桜花や紅葉を観賞することにまで用いたのは,大型野獣を捕獲しなくなった貴族文人たちの用法で,対象となるものを上にかぶせて○○狩りと称するのである。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

しゅりょう【狩猟】

( 名 ) スル
猟の道具をもって、山野の鳥獣をとらえること。狩り。猟。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

狩猟
しゅりょう

ハンティング」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

狩猟
しゅりょう

一般に野生鳥獣を猟具を用いて捕獲すること。法律上は、環境大臣の指定した猟具(銃器や網、わななど)を用いて狩猟鳥獣を捕獲することをいう。捕獲とは一般に、行動力のある野生鳥獣を拘束して自己の支配下に入れる状態をさし、狩猟とは捕獲行為のうちの狩猟免許によるものをいう。「狩猟とは狩猟法に定めた銃器その他の猟具をもって鳥獣捕獲の方法を行うことをいう」(大正11年5月29日大審刑集1巻329頁)とされ、石を投げてノウサギをとらえるなどは狩猟に含まれない。また、捕獲の意味については、行政的刑罰法規における目的論的解釈として、「捕獲とは、鳥獣を自己の支配内に入れようとするいっさいの方法を行うことをいい、実際に鳥獣を実力支配内に入れたかどうかは問わない」(昭和18年12月28日大審刑集22巻323頁)とされている。
 以上のように法律上、狩猟および捕獲について定義されているが、一般的には狩猟とは、人類の生活資源として野生の動物を、武器またはこれに類する猟具を使用して捕獲する行為を意味している。[白井邦彦]

起源と変遷


 ここで扱う狩猟とは、食糧を獲得するために野生動物を狩る営みをさし、文明社会の流通経済に組み込まれることで成立するような職業化した毛皮獣猟の狩猟や、スポーツとしての狩猟とは区分される。
 狩猟は採集とともにもっとも古くからの生業形態で、最初の人類アウストラロピテクス(猿人)が誕生して以来、およそ300万年以上にわたって進化を支えてきた。現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)は約3万5000年前に現れたが、彼らも純然たる採集狩猟民であった。それに対し農耕と牧畜は、その後さらに2万5000年を経てようやく芽生えた生業形態である。300万年以上に及ぶ人類の歴史の99%以上を採集狩猟によって生き抜いてきたのであり、この間に道具の製作使用や、大脳の発達、家族や社会集団の形成、有節言語によるコミュニケーションなど、人類を特徴づけるすべての身体的・文化的特性を獲得してきた。すなわち、人類は採集狩猟生活を継続し発展させることで、今日の人類となったといえる。[丹野 正]
旧石器時代の狩猟
人類にもっとも近縁の類人猿のチンパンジーは、ときおり狩猟する。チンパンジーはサル類や小型のカモシカ、イノシシの幼獣、リス、地上性の鳥などをとらえて食べている。狩猟においては数個体間での協同作業がおこること、肉をめぐって個体間でのおねだりや分け与えがおこることも観察されている。これらの事実は、人類の採集狩猟生活においてもっとも重要である、成員間の協同や食物の分かち合いなどの萌芽(ほうが)的現象を示しているといえよう。しかし、チンパンジーの狩猟は、獲物との偶然の出会いを契機におこるだけである。それに対し、人類の狩猟は意図的であり、つねに獲物を念頭に追い求める積極的な活動である。この点では肉食獣と同じであるが、人類は強力な牙(きば)や爪(つめ)をもたず、高速で走ることもできない。人類は霊長類のなかで唯一狩人(かりゅうど)への道を歩んできたが、人工の武器使用によって狩人となったのである。
 人類史の90%以上の時間を占める前期旧石器時代は、人類の進化と文化の発達がきわめてゆっくりと進行した。この時代の猿人とそれに続く原人(ホモ・エレクトゥス)は、粗雑な石核石器や剥片(はくへん)石器を有していたにすぎない。これらの石器は、狩猟用の武器というよりは、木槍(きやり)や棍棒(こんぼう)あるいは掘り棒といった、狩猟具や採集具の製作加工用具として、および獲物を解体するための刃物として使用されたと考えられる。初期の人類は身長120センチメートル前後と小さく、武器も貧弱であったので、獲物は小型の動物に限られていた。しかし、その後、体は徐々に大きくなり、またゾウやスイギュウ、サイ、カバなどの大型獣を倒すほどに狩猟方法も進歩していった。
 おおよそ10万年前以降の中期旧石器時代になると、人類は旧人(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス)段階へと進化し、生活技術も豊かになり始め、それとともに生活圏も寒冷な高緯度地帯まで拡大していった。石器製作の技術も進歩して剥片石器が主体となり、用途に応じて種類の異なる石器がつくられるようになった。刺し突くことを目的とした定型的な槍先としての尖頭(せんとう)器が出現するのもこの時代で、木槍にかわって、本格的な槍として使用された。旧人はウシ、ウマ、シカ、トナカイ、多毛サイなど、ネズミからマンモスに至るさまざまな動物を狩猟していた。
 約3万5000年前以降の後期旧石器時代は、現生人類の時代で、生活技術は加速度的に発展した。この時代は最終氷期の後半にあたっていたが、現生人類は寒帯にまで進出し、生活圏を旧世界の全域に拡大する一方、一部は、空白地帯であったアメリカ大陸とオーストラリア大陸へも進出した。石器製作技術は年代が下るにつれて飛躍的に進歩し、狩猟具、狩猟方法も著しく発達したと考えられる。尖頭器も精巧で多様な形と大きさのものがつくられ、投げ槍も発達し、槍をより遠くへ飛ばすための、投槍器も発明された。また落し穴を掘ったり、ウシやウマ、トナカイなど群れをなす草食獣を集団で追い立て、断崖(だんがい)から追い落としたり、水中に追い込んで殺すといった猟法もとっていた。人類は最強の狩人となったのである。約1万年前までにマンモスをはじめ多くの北方の大型哺乳類(ほにゅうるい)が絶滅したが、それは氷期の終わりに伴う環境変化の影響だけでなく、人類の強い狩猟圧を受けたためとも考えられる。また、後期旧石器時代の人類は、アルタミラやラスコーなどに狩猟獣を題材としたすばらしい洞窟壁画(どうくつへきが)を残している。それらは、動物の多産と豊猟を願う呪術(じゅじゅつ)的目的と儀礼のために描かれたのであろう。[丹野 正]
中石器時代の狩猟
後期旧石器時代の末には、弓矢という新しい武器が発明され、中石器時代に世界中に普及した。しかし、ヨーロッパ人がオーストラリア大陸に到達した当時(17世紀)、先住民は弓矢を知らなかったし、それ以前に使用していた形跡もなかった。過去には弓矢を使っていたのがなんらかの理由で廃れてしまった可能性もあるが、弓矢が発明され伝播(でんぱ)する以前に、ニューギニアを経てオーストラリアに移動してしまい、その後、外界から隔離されていたためとも考えられる。
 槍はそれ自体で獲物を殺傷する威力が大きいため、かならずしも毒を塗る必要はない。一方、弓矢はより遠くから、投げ槍よりはるかに高速、かつ正確に射ることができるが、急所に命中しないかぎり致命傷を与えることはむずかしい。しかし、毒矢であれば小さな傷も致命傷となる。弓矢の普及とともに毒矢の使用も始まったと考えられる。東南アジアおよび南アメリカの採集狩猟民が現在用いている吹き矢の矢は、ごく細く軽いもので、毒矢であればこそ初めて有効な狩猟具となった。また、最初の家畜となったイヌも中石器時代に出現する。さらに、後期旧石器時代末から中石器時代には、人類は内陸部だけでなく海岸地帯にも生活領域を広げ、骨角製のやす、銛(もり)、釣り針などを用いて海獣の狩猟や漁労活動も盛んに行うようになった。[丹野 正]
農耕・牧畜の開始と狩猟
1万年前になって初めて、植物を栽培し、動物を家畜化することに成功した。新石器革命または食糧生産革命とよばれるこの画期的なできごとによって、人口は加速度的に増加し、農耕・牧畜文化を基盤とする社会は急速に拡大していった。採集狩猟社会は、農耕文化や牧畜文化の影響を受けておのずから変容したり吸収され、急激に減少した。それでも15~16世紀の大航海時代までは、文明の地から遠く隔たった世界の各地に多数の採集狩猟社会が存続し、後期旧石器時代または中石器時代的な生活を営んでいた。しかし近代文明との接触以降、移住者による土地の収奪、文化変容、新来の伝染病の流行による人口の激減などによって、これらの社会の大部分は消滅し、現在では、ほんの少数のグループだけが、半砂漠、熱帯雨林、極北の地といった、生活条件が厳しく近代文明が容易に浸透しえなかった地域に生存しているにすぎない。[丹野 正]
今日の狩猟民族

エスキモー
エスキモーは極地の狩猟民として有名である。彼らは寒冷気候へ適応しており、犬ぞりやカヤック(皮張りボート)といった移動運搬手段、独特な住居と衣服、海獣の脂肪を燃やしての暖房、離頭式の銛(もり)などの精巧で複雑な狩猟具とその製作使用技術など、狩猟民としては最高度の物質文化を保有している。植物がまったく貧弱な環境のもとでは採集は成り立たず、内陸部でのカリブーやヘラジカの狩猟、川や湖や海岸での漁労、氷上や、氷に穴をうがち、そこへアザラシが呼吸しに浮上してくるのを待ち受ける独特のアザラシ猟や、海上での捕鯨などによって生計を営んでいた。[丹野 正]
アメリカ大陸の先住民
カナダからアメリカ合衆国北部には、アルゴンキン系とアサバスカン系の先住諸集団が分布し、カリブーやヘラジカなどの大型獣の狩猟と小動物の罠(わな)猟、夏季の漁労などに依存して生活していた。とくにカリブー猟では長大な柵(さく)を築き、群れをその奥の囲いに集団で追い込んで殺すという猟法もみられた。ヨーロッパ人との接触後、人口が激減し、現在はわずかな人々が狩猟生活を営んでいるだけである。また、北アメリカ北西海岸はサケ、マスなどの回遊魚が豊富で、採集狩猟資源にも恵まれていたため、定着生活を営み、複雑な社会組織を発達させていたし、アメリカ合衆国のグレート・ベースン(大盆地)地帯では、ショショーニ系諸集団が、バイソンの群れを追って移動生活を送っていた。南アメリカ南端のティエラ・デル・フエゴ島民も有名で、ビーグル号で航海したダーウィンも訪れ、彼らの生活を観察している。しかし彼らは現在では絶滅してしまった。[丹野 正]
その他の地域の狩猟民
オーストラリア先住民(アボリジニー)の社会は、すべて採集狩猟生活を営んでいた。この大陸の哺乳類は、ネズミ類やディンゴ(野生のイヌ)を除いてすべて有袋類で、カンガルー以外は大部分が小動物である。彼らは弓矢を知らずに、投げ槍と投槍器、それにブーメランを発達させた。東南アジアの採集狩猟民としては、アンダマン島民、マレー半島のセマン、フィリピンのアエタなどのネグリト諸集団があげられる。しかし、アンダマン島民は絶滅寸前であり、セマンやアエタも採集狩猟集団としての存続は危機に瀕(ひん)している。
 アフリカに現存する採集狩猟民では、カラハリ砂漠のサン(俗称ブッシュマン)と、コンゴ盆地の熱帯森林に住むトゥワ、ムブティ、アカなどのピグミー諸集団が有名である。そのほかタンガニーカ湖西岸地域のバンボテ、タンザニア北部のハッザ、ケニアの山地帯に住むドロボなどの小集団が残っている。[丹野 正]
肉と植物性食物
採集狩猟社会では、一般に男が狩猟に従事し、女が採集を分担しているが、植物性食物そのものが貧困な高緯度地域を例外とすれば、肉よりも植物性食物に大きく依存していることが明らかになっている。肉は食糧の20~40%にすぎない。植物性食物は、いつ、どこで、何が、どれほど入手できるか、あらかじめ予想できるので、安定した収穫が可能である。一方、狩猟ははるかに多くの技術と労力を要するが、その成果は非常に不安定である。しかし、植物性食物で腹は満たされても心までは満たされない。彼らにとって「肉こそが真の食物」なのである。だからこそ男たちは狩猟に励み、獲物は大きな喜びをもたらしてくれる。肉は集団内のさまざまな社会関係を通じて分配され、集団を構成するすべての家族に行き渡る。そして肉を与え、受け取る行為を通じて既存の社会関係が強化され、あるいは新しい関係が結ばれる。[丹野 正]
狩猟方法
採集狩猟民の狩猟手段と方法はさまざまである。槍と弓矢は普遍的な狩猟具であり、そのほかに棍棒、ブーメラン、マレー半島やボルネオの狩猟民およびアマゾン地方のインディオの用いる吹き矢、エスキモーや北方狩猟民に発達している銛、ムブティ・ピグミーやバンボテの狩猟用の網、エスキモーなどのボーラなどがあげられる。また、ある場所に設置しておいて獲物をとらえる狩猟具としては、落し穴、はね罠、くくり罠、圧し罠、仕掛け弓などがある。槍猟と罠猟を得意とするトゥワ・ピグミーは、一端に槍を取り付けた太い丸太を大形獣のけもの道の真上の木に吊(つ)るして、獲物が通ると落下する仕掛けも用いる。各集団はこれらの狩猟具のいくつかを併用しながら狩猟を行っている。
 弓矢猟のもっとも基本的な方法は忍び寄り猟で、1人または数人で行う。まず獲物をみつけだし、気づかれないようできる限り接近して射る方法である。投げ槍猟も同様であるが、さらに接近しなければならない。弓矢の場合には運よく毒矢が命中しても、大きな獲物は逃げてしまう。これを追跡するのも困難な作業で、獲物の足跡を根気よくたどってゆき、毒が回って動けなくなっている獲物を再発見してとどめを刺す。忍び寄りによる弓矢猟は、獲物を発見してからとどめを刺すまでつねに視覚に頼るので、アフリカのサバンナや北アメリカの雪原や平原のように、見晴らしがよく足跡も残りやすい環境のもとで効果的である。アフリカの採集狩猟民サンやバンボテは、サバンナ性の大型カモシカを長時間追いかけ回し、獲物が疲労して走れなくなったところを槍でしとめるという方法もとるが、これも見晴らしのよい環境でこそ可能な猟法である。視界が悪い森林地帯での地上性動物の狩猟には、弓矢の忍び寄り猟は不向きで、殺傷力の大きな槍が効力を発揮する。熱帯森林に生活するムブティは、樹上性のサル類に対してだけ弓矢の忍び寄り猟を行い、東南アジアや南アメリカの森林の吹き矢猟も、サルなどの樹上性動物が獲物となっている。
 森林地帯の弓矢猟では、忍び寄りの方法とは逆に、獲物が接近してくるところを射る猟法が発達している。これには、獲物が頻繁に通るけもの道のそばや、餌場(えさば)などの木の上での待ち伏せ猟と、集団で行う巻き狩りがある。ムブティが行う森林性カモシカの巻き狩りでは、10人前後の射手が森の一角を取り囲み、1人の勢子(せこ)がイヌをけしかけ、囲いの中を走り回らせて獲物を狩り出させる。射手は鉄の鏃(やじり)付きの矢をつがえて待ち受け、近くを走り抜ける獲物を射る。同様に森林での集団による巻き狩りで、ムブティやバンボテは弓矢のかわりに網を用いる。男たちは高さ1.2メートル、長さ40~100メートルの網を6~20枚ほど連ねて森の一部を円形に包囲し、女たちが囲いの内側に入って獲物を網のほうへ追い立てる。網に突っ込みもがいている獲物を男が押さえ、ナイフで殺す。
 槍猟は、今日の狩猟社会からほとんど消えてしまい、槍はむしろとどめを刺すときの補助的な武器となっている。ムブティは現在もゾウ、バッファロー、オカピ、モリオオイノシシといった大型獣を槍で倒している。槍は全長1.5メートルほどで、鉄の穂先は最大のものは長さ50センチメートル、幅15センチメートルもある。1人または数人のグループで獲物の足跡を追い、獲物の間近まで忍び寄り、オカピやバッファローなどには槍を投げ、ゾウの場合には下腹部に槍を突き刺す。そしてすばやく逃げ、改めて追跡する。槍猟は成功すれば一度に大量の肉が入手でき、ゾウを倒した場合には集団全体が倒れたゾウの所にキャンプを移して、肉がなくなるまで、食事や談笑、歌や踊りに興じて過ごす。槍猟は非常に危険で、ムブティの男たちのなかでも少数の者が敢行するだけで、日常的に行うものではない。槍猟による大量の肉は、生計維持の側面よりもむしろ精神的・社会的価値を多くもっている。[丹野 正]
狩猟動物とタブー
農耕民や牧畜民は食物となりうる多数の野生動物のうち、比較的限られたものだけを狩猟している。一方、採集狩猟民は、ほとんどの動物を食物とみなしており、獲物は骨や消化管の内容物など以外は余すところなく食物としている。しかし、個々の人についてみれば、だれもがすべての動物を食べることができるわけではない。親族集団のなかにはある特定の動物ときわめて強い親近感で結ばれており、その動物から彼らの祖先が由来したと考えられているものもある。このような場合、各親族集団の成員が自分たちのトーテム動物を殺したり食べることはタブーとなっている。また、ある種の動物または獲物の体のある部分は男しか食べることができず、ある動物や肉の一部は女の食物であるといった、性によるタブーもあり、ライフ・サイクルの各段階に対応したさまざまな食物規制もみられる。もしこれらのタブーを犯すと、彼らは自然の精霊から見放され、獲物が消え去って狩猟ができなくなると信じられている。[丹野 正]

レクリエーションとしての狩猟


狩猟の変遷
狩猟のレクリエーション化の史実は古くからみられ、中国では紀元前2000年ごろ、タカを使役して獲物をとる鷹狩(たかがり)が発祥しているが、これはすでに娯楽的な要素を含む狩猟と考証されるし、前1200年ごろのメソポタミアの鷹狩も同様である。前500年ごろのペルシア帝国では、キロス2世が巨額の租税をあてて盛大な猛獣狩りを行っている。前400年ごろのギリシアでは、貴族たちの間にレクリエーションとしての狩猟が流行した。このころの狩猟は、多数の猟犬をはじめ、ときには飼いならしたネコ、ライオン、チータなども勢子(せこ)とし、猟隊は槍(やり)、棍棒(こんぼう)、弓矢などを抱え、騎乗でノウサギやイノシシなどを追いまくって楽しんだ。古代ローマ時代も、貴顕紳士たちの娯楽としての狩猟が盛大に行われたと、クセノフォン(前430ころ―前354ころ)は述べている。中近東では、同じ時代にペルシア帝国の創始者キロス2世(在位前559~前530)は、狩猟の経費に四つの都市の租税をあてたという盛大さだったことを、ヘロドトスは伝えている。前1200年ごろメソポタミアで行われていた鷹狩も、コルサバード遺跡出土のレリーフによれば、すでに社交狩猟の姿とみることができる。
 中世に入ると、狩猟はイギリスをはじめヨーロッパ諸国の王侯貴族の必須(ひっす)のレクリエーションの地位を確立した。このような事態になると、彼らは狩猟の場を確保せねばならなくなり、期せずしておこったのが、一般人民に対する狩猟の制限である。その代表的なものが、イギリスのノルマン朝に創始された制度で、王室は法律によって広大な狩猟場を確保し、王の許可を得た者以外の狩猟が禁止された。地方の貴族たちもこれに倣って狩猟場を確保したから、狩猟は王侯貴族の独占物としての傾向が強まった。こうして彼ら支配階級は、娯楽、心身練磨、賓客の招待などのために、狩猟を民衆の手から奪取したといえよう。
 中世のヨーロッパで盛大だった狩猟は、おもに格闘型の猟犬を使役してのイノシシ猟や、追跡型猟犬を駆使してのシカ猟であったが、イノシシが減少してからは、シカが代表的なゲームとなった。狩猟が娯楽として行われる以上、老人や婦人などの参加が可能な、おぜんだてされた安易な狩猟、たとえば猟犬と獲物との死闘面の参観を主目的とする観戦狩猟の色彩が濃くなっていった。17世紀に入ると、中形野獣の狩猟が華々しく台頭した。イギリスの国技の一つであるフォックス・ハンティング(狐狩(きつねがり))は、17世紀の後半に体系だてられたし、ビーグル、ハーリア、グレーハウンドなどの猟犬にノウサギをとらえさせるコーシングや、オッターハウンドなどにカワウソをかみ殺させるカワウソ猟、小形テリア族をけしかけて、穴の中のアナグマを追い出してかみ殺させるアナグマ猟など、いずれも18世紀から19世紀にかけて完成した娯楽的な団体狩猟である。
 このころヨーロッパ諸国では、狩猟上に大改革が起こった。フランス革命によって、長年のヨーロッパ諸国の封建的な王制が自由民権の新風に氷解され、猟場がしだいに民衆の手に返って、レクリエーションやスポーツとしての狩猟が潮(うしお)のように広がっていった。王侯貴族が独占していた猟場や閉鎖されていた狩猟権(ヨーロッパの多くの国々では狩猟権が土地に付随しており、地主から狩猟権を買って、その土地で狩猟をする、つまり獲物は農作物や林産物と同じように土地に付随している)が解放されたため、一般大衆は自分の意志で狩猟する機会と場所を回復し、スポーツやレクリエーションとしての狩猟の道が開かれた。
 ほぼ時を同じくして、アフリカ、アジア、アメリカなどの大陸やオーストラリアの島々の大々的な開発が始まるが、狩猟は、その開発の先駆けもつとめるほかに、開発の進展にしたがい、サファリ、観光狩猟への道を拓(ひら)いていった。さらに狩猟の大衆化に寄与したものに、散弾銃の発明と普及がある。1556年に散弾銃が発明されて猟具に加わったが、散弾銃は弓矢に比較すべくもなく高能率で飛鳥走獣をしとめることができ、狩猟の形態に新分野を開いた。この新しい猟具が出現すると、これをいっそう効率的にさせるために、猟犬の改良が促進された。獲物を捜し、追いかけてかみ殺すように育成されてきた猟犬のほかに、鷹狩時代からはぐくまれてきたところの、静かにすばやく獲物に接近して、獲物の潜んでいる場所を主人に教え、主命によってこれを追い出して、主人に撃ち落とさせるという性質の猟犬(ポインター族やセッター族)や、薄氷の張る沼の中や、渦を巻いて流れる大河や、生い茂った草むらの中に撃ち落とされた獲物を確実に拾って回収するというような犬(レトリバー族)が改良普及されるに及んで、散弾銃はとみにその価値を増した。これらの犬を備えれば、1人で狩猟を行っても、相当な猟果が期待できた。さらに比較的容易に購入できる価格で銃が供給されるようになって、狩猟は急激に大衆化されていった。
 このように狩猟は、人類最初の産業として芽生え、時代時代の産業や政治や民衆の希求に適応しながら今日に至ったのであるが、いかなる時代にあっても断絶なく継続してきたことの理由は、狩猟が獲物をもたらすほか人間の肉体の機能や推理判断力を試し確かめるための、かけがえない行為である一面、社会人として克己心、連帯感、責任感などを培う好個の行為であるからと思われる。[白井邦彦]
近代狩猟
狩猟は、18世紀ごろから技術面で著しい変貌(へんぼう)を遂げることになった。これからのちの狩猟を「近代狩猟」とよぶことができる。その画期的なスタイルを形成させた端緒は、先に指摘した散弾銃である。散弾銃は口径と等しい直径の実弾も発射できるが、また1発で数粒からほぼ1000粒に及ぶ多数の弾子を発射できるから、飛鳥走獣を撃ち取るのにきわめて優れている。実弾は1個であるが、高速度で飛んで行き殺傷力が高い。散弾を発射した場合は、円錐(えんすい)状に散開して広がった網状に飛んで行くため、命中率が高い。こうして狩猟は、従来の弓矢、網、わな、もち、槍(やり)、猟犬による咬殺(こうさつ)などのほか、高速度で逃げて行く獲物の射獲という新たな技術面が開拓された。
 散弾銃は経済の発展に伴ってしだいに普及していったが、安定した火薬の安価な供給という化学上の恩恵もあった。1750年ごろにはハトなどを飛ばして撃つ競技がフランスで行われるまでになった。1870年には射撃人口の増加のため、生きている鳥を放して射技を競う放鳥射撃が困難になり、代用の瓦器(がき)(クレー)を発明しこれを飛ばして射撃するように改変された。これがクレー射撃競技の初めである。
 これとほぼ時を同じくして(18~19世紀)、優れた猟犬が大量に生産された。感覚、行動力、猟欲においても、主人に対する忠実心(主人との協調性)においても卓越した種々の猟犬が、ドイツ、イギリスなどで多数つくりだされ、獲物の捜索、獲物の所在の認知、獲物の回収能力が際だって向上した。これは遺伝学、育種学、飼養学などの恩恵である。
 こうして狩猟は、科学技術の恩恵を受けて色を塗りかえ、威力ある銃器を主猟具とし、洗練された各種の猟犬を猟僕として、新たな道を歩むようになった。この近代狩猟を構成する要素は、推理判断力(人間)、感覚器能と行動力(猟犬)、殺傷力(銃器)とみることができ、これら三者が有機的に働きながら、獲物と向かい合うのが近代狩猟の姿である。[白井邦彦]
日本の狩猟の沿革
縄文時代の日本人が狩猟と漁労によって生活していたことは、遺跡の出土品によって明らかである。遺跡からはイノシシ、シカ、クマ、アナグマなどの骨がおびただしく発掘されている。とくにイノシシが全出土獣骨のなかばを占め、シカは10分の4を占めていて、イノシシとシカの骨が全体の10分の9に達しているところから、この時代の獲物はイノシシとシカが圧倒的であったと推定される。弥生(やよい)時代にはすでに農耕が行われていたが、狩猟も生活の重要な部分を占めており、弥生式初期文化期(唐古(からこ)遺跡など)では、まだ狩猟は主産業の位置にあった。しかし後期(登呂(とろ)遺跡など)になると、農業に地位を譲った。
 国家が形成された古墳時代の日本の狩猟は、食糧獲得や有害鳥獣駆除のほか、獲物上納の租税対象にされ、崇神(すじん)天皇12年の弓筈(ゆみはず)の調(みつぎ)、大宝律令(たいほうりつりょう)(701)の猪油(ししゆ)、馬油(まゆ)類、雑(ざっせき)(鳥獣の干し肉)の上納制度などに、それをみることができる。一方、このころの日本の狩猟は、すでに朝廷をはじめ富貴階級のレクリエーションにもなっていた。垂仁(すいにん)天皇23年には、朝廷に鳥取部(ととりべ)や鳥養部(とりかいべ)などの主猟官が置かれ、414年ころ鷹甘(たかかい)部(鷹狩)や鵜養(うかい)部(鵜飼)の主猟官が置かれていたが、彼らは世襲職に指定されていたのである。
 538年に伝来した仏教経綸が、朝廷をはじめ上流階級に広まっていくと、肉食忌避の思想や動物愛護の観念が生まれ、信仰と道徳の両面から狩猟に対する制限が始まるが、時の政権者の信仰の程度によって、強化されたり緩和されたりした。また、政権の座にある者が、自分の狩猟の場を確保するためにも、狩猟制限が行われた。狩猟制限は、たとえば落し穴や仕掛け矢や、檻(おり)を用いての狩猟の禁止(672)、11月中のイノシシ、シカの食用禁止(701)、タカ、ウ、ニワトリ、イヌなどの飼養禁止(720)などの布令などであるが、その裏側では朝廷に対して九州から毎年タカを献上させたり(730)、河内(かわち)の交野(かたの)や摂津(せっつ)の水生野(みなせの)を、標野(しめの)として住民の狩猟を禁止し、朝廷の鷹狩専用地にしたこと(800)など徹底はしていない。
 12世紀に入ると、馬匹の改良普及の結果、騎馬による狩猟の方法が体系だてられ、追鳥(おいとり)狩りが流行するが、なかでも1193年(建久4)に那須野(なすの)で多数の農民や猟師を動員して実施した、軍事演習を兼ねた鎌倉幕府の追鳥狩りや、富士山麓(さんろく)の大々的な巻狩りが著名である。
 1330年(元徳2)には水禽(すいきん)猟の技術開発が進み、手賀沼(千葉県)で流しもち縄による集団的なカモ猟が開発され、16世紀に入るとイノシシ、シカ、ノウサギ、スズメなど、農作物の加害鳥獣を駆除・猟獲するわなや網猟が広まった。このころ鷹狩の技術も大いに進歩し、その秘伝書の刊行が相次ぐが、1590年(天正18)の三河の吉良(きら)での鷹狩は壮大なもので、数万人の勢子(せこ)を動員して、ガン、カモ、ウズラ、ハト、キジ、ヤマドリなど、3万羽も猟獲したと記録されている。鎌倉幕府以来、狩猟は、武家の軍事演習や領主らの民情視察を兼ねたレクリエーションとして流行した。桃山時代から江戸初期には織田信長や徳川家康が鷹狩を盛んに行った。徳川綱吉(つなよし)の生類憐(しょうるいあわれ)みの令(1685)による殺傷禁断などもあったが、地方では有害鳥獣駆除や食糧を得るために狩猟は盛んに行われた。その後将軍吉宗(よしむね)の鷹狩奨励などあり、武家は盛大に鷹狩、かすみ網猟、高(たかはご)猟、カモ場猟が行われた。農民も生業として狩猟を行った。とくに東北地方から北陸地方にかけての集団的な大物猟師で、なかでも秋田県の山村のまたぎ(又鬼)連中(れっちゅう)は、藩主佐竹侯の庇護(ひご)助成のもとに、クマやカモシカを主とする狩猟に励み、大正時代まで続いた。
 明治に入ると、1872年(明治5)に銃砲取締規則が施行されて銃猟が一般化され、翌年発布された鳥獣猟規則により、制度として職猟と遊猟が並列して行われるようになった。これはヨーロッパで、フランス革命を契機に狩猟がふたたび大衆の手に返ってきたのと同じ現象といえよう。
 欧米との交渉の活発化に伴い、欧米の近代狩猟のスタイルが導入されることになった。日本が主として手本にしたのはドイツとイギリスである。当時、狩猟は、制度としてはドイツがもっとも合理的であったし、イギリスはよい猟銃・猟犬を世界に供給しており、日英同盟を結んだ結果、イギリス風が日本の近代狩猟の形成に大きな影響を与えた。日本の近代狩猟は、ドイツ風の制度で骨格がつくられ、イギリス風の狩猟観で肉づけされたということができる。
 第二次世界大戦後は、アメリカの狩猟の影響を受けることになった。アメリカは狩猟人口のきわめて多い国(7人に1人が狩猟者という)で、戦後来日したアメリカ人の多数が、日本で狩猟を行うのに日本人狩猟者を案内にたてるか、これと共猟したため、アメリカの猟法や狩猟作法が入り込んだこと、長年の戦争のため猟用資材が老化したり甚だしい欠乏下にあったため、アメリカの資材に頼ったことなど、がその傾向を強めた。さらに、アメリカの政府機関が日本政府に対して、近代的な狩猟政策についてアドバイスをしたため、アメリカの狩猟の様相を帯びるようになった。しかし、アメリカには随所に広大な猟野があり、平原が多く、人口密度が低い。この点日本とは事情はまったく違っているから、アメリカ風な狩猟を日本で行うには無理な点が少なくない。狩猟は自然界で自然の鳥獣を狩るという行為であるから、猟野の地勢や気候、獲物の習性や密度に応じた狩猟を行わない限り、よい狩猟は望めない。したがって、経済力の回復向上につれ、しだいに日本の猟具や猟法は、初め手本にしたヨーロッパ風に返っていく傾向にある。[白井邦彦]
日本の狩猟管理の現状
2016年(平成28)現在、日本の狩猟管理は環境省自然環境局野生生物課が主宰し、狩猟者数は2013年時点で、網猟免許が約6000人、わな猟免許が約8万1000人、第一種銃猟免許(装薬銃使用)が約9万6000人、第二種銃猟免許(空気銃使用)が約2000人となっている。狩猟のための税金(地方税)は、狩猟税で、ほかに諸手数料があり、狩猟税と手数料とで狩猟が管理されている。[白井邦彦]
狩猟の規則
日本で狩猟法制が形をなしたのは、1873年(明治6)の「鳥獣猟規則」で、1892年に「狩猟規則」へ改正された。1895年「狩猟法」の制定などを経て、1918年(大正7)に大改廃が行われ、「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」が制定、施行された。その後も数次の改正があり、1963年(昭和38)の大幅な改正を経て、2002年には全面的に改正され、「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」が制定された(2014年、「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」に名称変更)。[白井邦彦]
狩猟鳥獣
日本にはほぼ550種の鳥類とほぼ130種の獣類が分布するが、そのうち狩猟鳥は次の28種、狩猟獣は20種である(2016年現在)。
〔1〕鳥類 カワウ、ゴイサギ、キジ、ヤマドリ(コシジロヤマドリを除く)、エゾライチョウ、コジュケイ、オナガガモ、コガモ、ヨシガモ、マガモ、カルガモ、ヒドリガモ、ハシビロガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、スズガモ、クロガモ、バン、タシギ、ヤマシギ、キジバト、ハシブトガラス、ハシボソガラス、ミヤマガラス、スズメ、ニュウナイスズメ、ヒヨドリ、ムクドリ。
〔2〕獣類 ツキノワグマ、ヒグマ、イノシシ、ニホンジカ、キツネ、タヌキ、アナグマ、テン(ツシマテンを除く)、シマリス、タイワンリス、イタチ(雄)、ノウサギ、ノネコ、ノイヌ、ヌートリア、チョウセンイタチ(雄)、ミンク、アライグマ、ハクビシン、ユキウサギ。
 狩猟鳥獣は(1)生息数、(2)生活環境、農林水産業、生態系に対する益害関係、(3)利用価値などを勘案し環境大臣が公聴会を開いて利害関係人の意見を聞いたうえ中央環境審議会(旧自然環境保全審議会)に諮問して決定される。
 日本の狩猟の獲物で多く猟獲されているのは、陸上の鳥獣ではキジ、ヤマドリ、キジバト、スズメ、イノシシ、シカ、ノウサギなど、水辺の鳥類ではカモ類とシギ類である。スズメはおもに網で捕獲され、他はたいてい散弾銃で猟獲される。イノシシとシカはライフルによる場合も少なくない。狩猟鳥類の年間捕獲数は、有害鳥獣駆除によるものを加えて鳥類約86万5000羽、獣類約31万5000頭(2005)。
 日本の狩猟鳥獣の現状は、山林の伐採と単純造林地の造成、林野の開墾、湖沼や海岸の埋立てと護岸工事、水田の耕地整理、農薬の使用などのため、一般に減少の一途をたどっている。さらに銃器・弾薬の発達、射撃術の進歩、猟犬の性能の向上、自動車の普及などがいっそうこの傾向を強めているが、獣類のうちイノシシとノウサギは生活力が旺盛(おうせい)なため減少をみず、年々相当な捕獲数を示している。狩猟陸鳥のうち代表的なキジは、多くの府県で養殖放翔(ほうしょう)して増殖を図っており、ヤマドリも養殖技術が成功し、放翔が行われている。コジュケイは大正初年に放翔を開始して以来着実に自然繁殖し、1960年代から1980年代前半にかけては日本固有のキジやヤマドリを凌駕(りょうが)するほど猟獲されていたが、その後捕獲数が激減した。カモは秋季おびただしく渡来した鳥類であるが、湖沼の干拓や湿地帯の減少、内湾の汚染などで減少した。今後ウズラやマガモなど養殖可能な狩猟鳥の放翔と、渡り鳥が定着できるような環境を多数造成することが緊要で、それに対する諸試験が開始されている。[白井邦彦]
猟期
1975年(昭和50)以降、北海道は10月1日~1月31日、本州以南では11月15日~2月15日とされている。なお、地域によって狩猟鳥獣類の種類や猟期の短縮されている場合があるが、これらは狩猟鳥獣の生息密度により、環境大臣や知事が中央環境審議会に図って定める。したがって年によって変動することがある。[白井邦彦]
捕獲数の制限
狩猟鳥獣のうち、ときに大量猟獲ができ、乱獲すると獲物の生息密度の維持上好ましくない種類に対しては、捕獲数が制限されている。[白井邦彦]
猟具
鳥獣を捕獲する用具を猟具という。猟具には〔1〕法定猟具、〔2〕禁止猟具、〔3〕自由猟具があり、法定猟具は環境大臣によって、(1)銃器=装薬銃、空気銃(コルクの弾丸を発射する、猟具でないものを除く)、圧縮ガス銃、(2)網=無双(むそう)網、はり網(かすみ網など猟具でないものを除く)、突き網、投げ網、(3)わな=くくりわな、はこわな、はこおとし、囲いわな、が指定されている。
 禁止猟具には〔1〕絶対禁止猟具と〔2〕制限猟具があり、絶対禁止猟具は、(1)爆発物(ダイナマイトなど)、(2)劇薬、毒薬、(3)据銃(すえじゅう)、(4)危険な(人間に対して)わな、(5)危険な落し穴、などである。制限猟具は狩猟免状では使用できないが、有害鳥獣駆除や学術研究のための特別許可(鳥獣捕獲許可証)を受けた者が使用でき、(1)かすみ網、(2)はご、(3)つりばり、(4)とりもち、(5)弓矢などがある。
 自由猟具は、法定猟具でも禁止猟具でも制限猟具でもない猟具で、槍(やり)、吹き矢、鷹狩のタカなどが含まれる。これらの使用は、猟期などの規則を守れば、免許や許可を要しない。[白井邦彦]
狩猟禁止区域
狩猟をしてはならない区域。
〔1〕鳥獣保護区(2015年現在、全国に3783か所、356万2000ヘクタール)。
〔2〕休猟区(3年を限度に都道府県知事が指定)。
〔3〕公道(公衆が普通に通行する道全部)。
〔4〕公園(自然公園法で決められた特別保護地区と、都市計画法で認可された公園や緑地など)。
〔5〕社寺境内(社寺付属地も含まれる)。
〔6〕墓地。
〔7〕捕獲禁止区域(特定の狩猟鳥獣に限って禁止した区域)。[白井邦彦]
銃猟に対する制限
前記に加えて、次の場所、方向、時間などが禁止されている。
〔1〕場所 (1)銃猟禁止区域、(2)住居が集合している地域、(3)広場、駅その他の多数の者の集合する場所。
〔2〕方向 人畜、建物、電車、自動車、船舶その他の乗り物に向かっての発砲。
〔3〕時間 日の出前、日没後(その時間は暦象年表による)。
〔4〕方法 (1)据銃、(2)口径10番以上の散弾銃、(3)航動中の飛行機、自動車、5ノット以上のモーターボート上からの狩猟、(4)ライフル銃による狩猟(ヒグマ、ツキノワグマ、イノシシ、ニホンジカには、口径5.9ミリメートル以下のライフル銃に限る)。[白井邦彦]
狩猟の場所
狩猟する場所には、〔1〕無条件にできる場所、〔2〕承諾を要する場所、〔3〕承認を要する場所、がある。〔1〕は乱場(らんば)といい、狩猟者登録をしている人が狩猟期間中自由に猟のできる場所。〔2〕は(1)柵(さく)などで囲ってある土地では所有者の承諾が必要、(2)農林作物のある所(取り入れの済んだ農地と植栽後まもない幼齢林は含まれない)では所有者の承諾が必要、(3)何人かの人が環境大臣の認可のもとに一定の場所で共同狩猟をしてきた土地では狩猟地の責任者の承諾が必要である。〔3〕は猟区で、国、都道府県、市町村、狩猟者団体などが経営している営利的な狩猟場。入猟者から承認料をとり、少数の狩猟者を入れる場所である。[白井邦彦]
捕獲の特別許可
害鳥獣駆除や飼い鳥にしたり、学術研究や教育材料にするために、鳥獣捕獲の必要のおこったときは、環境大臣か都道府県知事に出願して、捕獲の許可を受けなければならない(都道府県の自然保護課や林政課等に事前に相談する)。[白井邦彦]
飼養
狩猟鳥獣以外の本邦産鳥獣類を飼育するには、愛玩(あいがん)用はもちろん教育用や学術研究用でも飼養登録が必要。飼養のために捕獲するには前項の捕獲の特別許可を要する。愛玩飼養目的の捕獲許可対象鳥類はメジロのみで、他の鳥獣は重要な飼養目的がないと許可されにくい。捕獲したら、捕獲許可証の有効期間が過ぎたのち30日以内に都道府県知事の飼養登録を受ける必要がある。[白井邦彦]
狩猟の手続
狩猟をするには、〔1〕「狩猟免許試験」の合格、〔2〕「狩猟免許」と「狩猟者登録」申請、〔3〕「狩猟税」の納付が必要である。
 狩猟免許試験は、知事の権限で毎年7月ごろから各都道府県のおもな市町で開催される。申込みは居住地の都道府県林務課、自然保護課等(県により異同がある)または都道府県猟友会。試験の合格者には狩猟免状が交付される。
 狩猟免状の種類には網猟免許、わな猟免許、第一種銃猟免許、第二種銃猟免許の4種があり、第一種銃猟免許は装薬銃と空気銃で狩猟をする者に、第二種銃猟免許は空気銃で狩猟をする者に交付される。銃猟と網猟をしようとする者は、網猟免許と第一種銃猟免許両方の免状をとる必要がある。「狩猟者登録」の申請は、狩猟をしようとする都道府県の林務課等の出先機関あてに行う。猟友会でも代行をしてくれる。「狩猟税」は、狩猟者登録の申請と同時に、狩猟をしようとする都道府県ごとに納付する。以上の手続が終わると「狩猟者登録証」と「狩猟者記章」(バッジ)が交付され、初めて狩猟できる。[白井邦彦]
銃猟の概要
文明国家における現代の狩猟はおもに銃猟である。銃猟は一般に散弾銃やライフル銃など装薬銃を用いて行われる。[白井邦彦]
使用銃の特徴
散弾銃とライフル銃とでは圧倒的に前者を使用する人が多い。散弾銃、ライフル銃ともに単発銃から自動装填(そうてん)式連発銃まで各種ある。それらのうちレクリエーションとしての近代的な銃猟でもっとも好ましいのは、イギリスやヨーロッパ諸国で完成した二連銃であるが、天然の獲物の多い未開地などでは、自動装填式の自動銃の愛用者も少なくない。日本では、ヨーロッパを手本にして長らく二連銃が主座を占めていたが、近年自動銃などの多連銃の進出が目覚ましい。
 ライフル銃の最大口径は600、最小口径は22であるが、一般に7ミリ、8ミリ、30径が標準で、近年日本では、アメリカの影響を受け30径が普及している。[白井邦彦]
猟犬
銃猟は猟者がただ1人でも、手間暇かけずに相当な猟果があげられるし、網猟やわな猟に比べて、猟具の準備、運搬、仕掛けなどに労力をかけなくてすむという特徴のある猟法だが、仕掛けておいてかかるのを待つという静的な狩猟と異なり、隠れ潜んでいる獲物を追い出したり、逃げる獲物の退路を遮断して撃ち取る動的な猟法であるうえ、猟犬への依存度が高いため、ほとんどの銃猟で猟犬が枢要な地位を占めており、それぞれ特徴のある各種の猟犬がつくりだされている。[白井邦彦]
銃猟の種類
銃猟は大別して鳥猟と獣猟に、鳥猟は陸鳥猟と水禽猟に、獣猟は大物猟と小物猟に分類される。[白井邦彦]
陸鳥猟
おもな獲物は、キジ、ヤマドリ、ウズラ、コジュケイ、ヤマシギなどである。これらの鳥類は草や藪(やぶ)の奥に潜んでおり、人間が近づいてもなかなか飛び立たず、じっと隠れ続けるか、こそこそ歩いて逃げてしまうため、ポインター族、セッター族、スパニエル族などの鳥猟犬の鋭い嗅覚(きゅうかく)や聴覚などに頼って、捜し出すところから始まる。猟犬は鳥の残臭を求めて捜索し、みつけるとその数メートルの近くでねらう。これをポイント(指示)といい、猟者は射撃しやすい場所に立ち、発砲の用意をしてイヌに飛び込ませ、舞い立ったところを撃ち落として、イヌに回収させる。[白井邦彦]
水禽猟
おもな獲物は、カモ類、タシギ、バンなどである。これらの鳥類は海や湖沼や河川、その付近の湿地帯や田んぼなどにすんでいるから、水上のものは舟を用い、そうでないものは徒歩で狩る。カモ猟では囮(おとり)猟や舟撃ちが、タシギは踏み出しで、バン猟は舟で接近したり、猟犬に追い出させて撃つ方法がとられる。[白井邦彦]
大物猟
日本でいう大物とは、ヒグマ、クマ、イノシシ、シカをさす。大物猟は、(1)潜行猟、(2)待ち撃ち、(3)吠(ほ)え留め猟、(4)巻狩りの4種に区別できる。(1)は足跡をつけて行ってこれを撃つ猟法、(2)は採食場などに待ち伏せて撃つ猟法、(3)は紀州犬など格闘型の獣猟犬を使役して獲物を釘(くぎ)づけにし、これに接近して撃つ猟法、(4)は最初に撃ち場へ射手を配置し、ビーグルやプロットハウンド、中形日本犬など追跡型の獣猟犬や勢子(せこ)で追い出して撃つ猟法である。潜行猟や待ち撃ちは、現在の日本では、整備された猟場がないため、大物猟の専門家でないと実行困難の面が多い。したがって一般の狩猟家ができるのは巻狩りへの参加である。大物猟にはしばしばライフル銃が使用されるが、日本は藪が多いため、ヒグマや雪山のクマ猟以外、散弾銃で十分なことも多い。[白井邦彦]
小物猟
日本ではノウサギ、リス、ムササビ、キツネ、タヌキ、アナグマ、テンなどがこの範疇(はんちゅう)に入るが、銃猟の対象物はまずノウサギだけといってよい。ほかは生息数が少ないので、渉猟して追い立てるには徒労が多いし、毛皮獣のため、銃器でとると毛皮に穴があいて価値を減じやすいこともあって、わな猟の目的物にされるのである。ノウサギの猟法は、無雪地帯ではビーグルなどの追跡型猟犬で追跡させて、撃ち場に待機して撃ち、積雪地帯では足跡をつけていって飛び出すところを撃ったり、大ぜいの勢子に追い出させて撃ち場で撃つ勢子猟が採用される。とくに後者は、雪国に住む人々の食糧獲得と害獣退治を兼ねた遊猟として、昔から盛大に行われてきた。[白井邦彦]
『クラーク・ハウエル著、寺田和夫訳『原始人』(1970・時事通信社) ▽E・R・サーヴィス著、蒲生正男訳『現代文化人類学2 狩猟民』(1972・鹿島研究所出版会) ▽白井邦彦著『狩猟入門』(1968・ダヴィッド社) ▽白井邦彦著『現代の猟銃』(1957・徳間書店) ▽白井邦彦著『日本の狩猟鳥』(1964・林野共済会) ▽白井邦彦著『日本の狩猟獣』(1967・林野弘済会)』

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世界大百科事典内の狩猟の言及

【採集狩猟文化】より

…人類進化史上,狩猟はきわめて重要な役割を果たしてきた。植物性食物や昆虫などの採集をもっぱらとする霊長類の中で,常習的に狩猟を行い肉食をとりいれたグループがヒトへの進化の道をたどった。…

【シーズン制】より

…それとともにシーズン制が崩れつつある。 シーズン制の起源はイギリスの狩猟にある。イギリスの有閑階級の狩猟は,馬に乗って山野を駆け回り,たくさんの犬を自在に操りながら,獲物を追い込んでいく独特のものであった。…

※「狩猟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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