20世紀日本人名事典 「井上翠」の解説 井上 翠イノウエ ミドリ 明治〜昭和期の中国語学者 元・大阪外国語学校教授。 生年明治8年3月10日(1875年) 没年昭和32(1957)年6月9日 出生地兵庫県姫路 学歴〔年〕東京外国語学校清語別科 経歴明治35年東京府立一中教諭となり、東京外国語学校で中国語を学んだ。39年宏文学院教授となり清国留学生に日本語を教えた。同年「日華語学辞林」を出版。40年清国京師法政学堂教習として北京に赴任。かたわら中国語大辞典編さんに従事した。大正7年山口高等商業学校教授、11年大阪外国語学校教授となった。昭和2年と6年に「井上支那語辞典」「井上日華新辞典」を出版、16年「井上支那語中辞典」を出版し、中国語学界の第一人者となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上翠」の解説 井上翠 いのうえ-みどり 1875-1957 明治-昭和時代の中国語学者。明治8年3月10日生まれ。東京外国語学校(現東京外大)にまなび,明治40年北京に留学。大正11年大阪外国語学校(現大阪外大)教授。中国語辞典の編集に情熱をかたむけ,「井上支那語辞典」などを出版した。昭和32年6月9日死去。82歳。兵庫県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by