日本大百科全書(ニッポニカ)「編集」の解説
編集
へんしゅう
本来、編集とは印刷物に関して使われることばであり、書籍、雑誌を物的に生産する以前の段階、「企画をたて、素材を収集し、整理し、構成する知的労働の過程」と定義できる。新聞では、広義には取材を含む編集局に属する作業をいうが、狭義には送られてきた情報を整理し、紙面に構成する部門の活動をさす。映画においては、撮影者のネガ・フィルムを現像したポジのラッシュ・プリントを台本どおりに場面ごとに粗(あら)つなぎし、その後監督の指示に従って細部を処理する作業をいい、多少ニュアンスが異なっている。
編集ということばは一般家庭でも用いられるようになった。8ミリフィルム、音声テープ、ビデオテープなどを一定の方針のもとに映像や音声を取捨選択し、つなぎあわせ、タイトルを入れ、一つのパッケージとして完成させる。あるいは素材となる写真を選び、引伸しの大小、貼(は)る位置を勘案し、それぞれにキャプション(説明文)を付し、総タイトルをつけてアルバムを作製する。そしてできあがった作品を家族、友人の視聴、閲覧に供する。その作業を人々は編集とよんでいる。そこには出版社、新聞社、映画会社、テレビ局において、いわゆる編集とよばれる作業の要素が含まれている。「編集」という英語editingの語源はto give out, publishすなわち公にすること、発表することであり、そのための準備作業をいう。専門職能を意味する編集ということばが普及したのは、テクノロジーの発達によって、それだけ大衆化したということである。
編集する者を意味するeditorは編集長、各部の部長、論説委員をさし、発行者publisherも含まれることがある。editor in chief, chief editorには編集局長、論説主幹をあてるのに対し、出版社・雑誌社で編集業務に従事する一般の人々はeditorial staff, assistant editorとよばれるが、この種の人を含めてすべてエディター、編集者というようになっている。徳富蘇峰(そほう)、田口卯吉(うきち)は主張をもって、それぞれ『国民之友』『東京経済雑誌』を創刊し、自ら企画をたて、社説を書いた編集者である。ジャーナリズムの形成期、新聞社・出版社の創業期、もしくは小規模出版社にはこの型の編集者が出現する。第二次世界大戦後においても、『暮しの手帖(てちょう)』の花森安治(はなもりやすじ)をはじめ、この型の編集者は多数存在した。もう一つの型は『中央公論』の滝田樗陰(ちょいん)であろう。滝田は雇われ編集者であったが、その企画力によって編集の全権をゆだねられ、雑誌の部数を著しく伸ばした。彼は売上げ部数によって歩合をもらい、大正中期にはその額が2000円にもなったという。庶民には100円がめったに手に入らなかった時代である。雑誌、書籍、新聞がより商業主義的に販売され、発行元の経営規模が大きくなり、編集が経営から分化し、企業内で専門化してくる時代の編集者として、滝田は先駆的存在であった。『文芸春秋』の池島信平もこの型の編集者であろう。
[京谷秀夫]
『岩崎勝海著『出版ジャーナリズム研究ノート』(1965・図書新聞)』▽『山田宗睦著『職業としての編集者』(三一新書)』▽『杉森久英著『滝田樗陰――ある編集者の生涯』(中公新書)』