出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の東京外国語学校の言及
【朝鮮語】より
…日朝修好条規締結(1876)以後の朝鮮への日本の進出は,日本人の朝鮮語修得者の増加を要求した。東京外国語学校(東京外国語大学の前身)に朝鮮語学科が設置され(1880),専門的な朝鮮語教育に力が注がれる一方,数こそ多くはなかったが,国や一部の県からの派遣留学生の中から,すぐれた力をそなえた通訳官が育成されて,日本人用の朝鮮語学習書もつぎつぎに刊行された。もちろんこれらの学習書の中には,場あたり的な会話練習書や,《兵要朝鮮語》(1894)のような軍用テキストも含まれていたが,反面《韓語通話》(1894),《韓語大成》(1905),《韓語文典》(1909)など,本格的な学習書と評価されたものも現れた。…
【東京外国語大学】より
…直接の起源は1897年東京高等商業学校に付設された外国語学校。しかしこれより先,1873年官立開成学校(東京大学の一前身)の語学課程等を母体に設立された東京外国語学校があり,これが85年東京商業学校に合併された後,翌86年廃止され途絶していたという前史がある。そのため,起源は江戸時代の[蕃書調所]にさかのぼるという説もある。…
【ロシア語】より
…長崎通詞出身の[馬場佐十郎]貞由は松前に虜囚としてとどまっていた[V.M.ゴロブニン]海軍少佐の協力を得て《魯語文法規範》6巻(1813)を著したが,これは本邦最初のロシア語の学問的研究と評価できる内容をもつ。日本における組織的なロシア語教育は,1873年(明治6)伝道師[ニコライ]が東京に開いた正教神学校,およびその翌年政府の創設した東京外国語学校において開始された。比較言語学に基づく科学的なロシア語の研究は[八杉貞利]によってその基礎がおかれ,井桁貞敏(1907‐80),木村彰一(1915‐86)らによって発展をみた。…
※「東京外国語学校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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