井伊郷・井伊保・井伊庄(読み)いいごう・いいほ・いいのしよう

日本歴史地名大系 「井伊郷・井伊保・井伊庄」の解説

井伊郷・井伊保・井伊庄
いいごう・いいほ・いいのしよう

現引佐町一帯にあった国衙領。古代の引佐郡渭伊いい(和名抄)の名を継承しており、現在の井伊谷いいのや奥山おくやま川名かわな的場まとばなどを範囲とする地域に比定される。貞治元年(一三六二)頃とみられる一〇月一九日の西園寺実俊施行状(熊野速玉神社文書)などによると、実俊が紀州熊野山新宮造営料所としての遠江国吏務職にかかわる訴訟について室町幕府に伝達しており、造営料所三三郷のうちに「井伊郷 廿一石二斗一升二合」がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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