井生村(読み)いうむら

日本歴史地名大系 「井生村」の解説

井生村
いうむら

[現在地名]一志町井生

雲出くもず川中流域右岸にあり、西は川口かわぐち(現白山町)、東は雲出川を隔てて大仰おおのき村に対する。戦国時代末期天正一二年(一五八四)小牧の戦に際して戦功をあげた岸和田きしわだ(現大阪府)代官松浦宗清は翌一三年豊臣秀吉によって川口と井生一万一千石に移領されて井生に住したという。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦には西軍に属して敗れ、井生から奥州南部家預けの身となり、翌六年九月その地で病没したという(一志町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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