雲出川(読み)クモズガワ

デジタル大辞泉 「雲出川」の意味・読み・例文・類語

くもず‐がわ〔くもづがは〕【雲出川】

三重県中部を流れる川。三重・奈良両県の県境にある高見山地三峰みうね山(標高1235メートル)に源を発し、北東流して伊勢平野を抜け津市香良洲からす町で伊勢湾に注ぐ。最上流域は室生むろう赤目青山国定公園に属する。

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日本歴史地名大系 「雲出川」の解説

雲出川
くもずがわ

高見山地の三峰みむね(一二三五・四メートル)に源を発し、美杉みすぎ村で伊勢地いせじ川・おい川・神河こうのごう川・八手俣はてまた川、白山はくさん町でふじ川・垣内かいと川・大村おおむら川、久居ひさい市で長野ながの川、一志町で波瀬はぜ川、嬉野うれしの町で中村なかむら川などの中小河川を合せて沖積低地を東流し、香良洲からす町で北の雲出川古川と南の本流とに分れて伊勢湾に注ぐ。流路延長五九・一キロ、流域面積五一〇・六平方キロの県下有数の大河川である。雲津川とも書き、雲宇途くもうず川ともいった。

「日本書紀」仁徳天皇四〇年二月条にみえる廬杵いおき河、雄略天皇三年四月条にみえる廬城いおき河は、現白山町の家城いえき近くの雲出川を称したものであろう。古くから北勢と南勢の自然の分界点であったが、南北朝時代には南北朝両勢力の接触点となり、建武五年(一三三八)三月の北畠顕家軍と石河光俊軍の戦いなど(合編白河石川文書「楓軒文書纂」所収)、渡河戦が何度か行われている。近世に至っても橋は架けられておらず、中世の伊勢参宮街道は小野古江おののふるえ(現三雲村小野江)を利用したり(伊勢太神宮参詣記)、雲出(現津市)から星合ほしあい(現三雲村)へ渡ったりした(耕雲紀行など)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「雲出川」の意味・わかりやすい解説

雲出川
くもずがわ

三重・奈良県境の高見(たかみ)山地三峰山(みうねやま)付近を源にし、伊勢(いせ)平野を貫流して伊勢湾に注ぐ川。一級河川。延長55キロメートル、流域面積550平方キロメートル。古来大和(やまと)と南伊勢を結ぶ交通路で、上流に大和榛原(はいばら)から通ずる伊勢本街道の一部が、中・下流は名張(なばり)からの初瀬(はせ)街道(伊勢表街道)が通り、開発の歴史は古い。近世に入って利水も進み、1648年(慶安1)には雲出井(くもずい)用水が完成した。上流部は室生赤目青山国定公園(むろうあかめあおやまこくていこうえん)や赤目一志峡(いちしきょう)県立自然公園に指定され、中流部には峡谷家城(いえき)ラインがある。

[伊藤達雄]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「雲出川」の意味・わかりやすい解説

雲出川
くもずがわ

三重県中部の川。高見山地三峰山に源を発して北東流,津市中部で東へ転じて伊勢平野を横断し,伊勢湾に注ぐ。全長 63km。上流の奥一志峡付近一帯は赤目一志峡県立自然公園に属する。中流は家城ラインと呼ばれる景勝地で,アユヤマメの釣り場およびスギ美林で知られる。中・下流域は一志米の産地。

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世界大百科事典(旧版)内の雲出川の言及

【白山[町]】より

…人口1万4479(1995)。西部は布引(ぬのびき)山地とその東側斜面の丘陵性山地であるが,南東部には雲出(くもず)川が流れて沖積低地がひらける。古来,大和と伊勢を結ぶ道の要衝にあり,川口には聖武天皇の行宮(あんぐう)が置かれ,随従した大伴家持の歌に〈河口の野辺〉(《万葉集》巻六)と詠われている。…

※「雲出川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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