朝日日本歴史人物事典 「井関盛艮」の解説
井関盛艮
生年:天保4.4.21(1833.6.8)
幕末明治期の官僚,日本最初の日刊新聞『横浜毎日新聞』の発行者。宇和島藩(愛媛県)藩士で通称斎右衛門。藩命で長崎に赴き坂本竜馬や本木昌造らを知り,海外事情に通じた。維新後は明治政府の外務大丞となり,諸国との修好条約締結に当たった。明治3(1870)年神奈川県知事のとき活版所を開き,子安峻と共に『横浜毎日新聞』第1号を発行した。宇和島,名古屋,島根などの権県令,県令を歴任,退官後は実業家として東京~八王子間の鉄道敷設に尽力した。幕末時には宇和島藩士で最も重要な人物と,アーネスト・サトウに評価された。<参考文献>アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』
(森山茂徳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報