日本の城がわかる事典 「亘理城」の解説 わたりじょう【亘理城】 宮城県亘理郡亘理町にあった戦国時代から江戸時代にかけての平山城(ひらやまじろ)。江戸時代には仙台藩21要害の一つとされた。天正年間(1573~92年)に、伊達一族で、伊達政宗(だてまさむね)の大叔父に当たる亘理元宗により築かれ、その居城となったが、元宗は1591年(天正19)に涌谷(わくや)城(遠田郡涌谷町)に移封となり、代わりに片倉景綱(かたくらかげつな)が入城した。関ヶ原の戦い後の1602年(慶長7)、景綱が白石(しろいし)城(白石市)に移ったことから伊達成実(しげざね)が入り以来明治維新まで、成実を祖とする亘理伊達氏の居城となった。城跡は現在、旧舘公園、亘理神社の境内や亘理高校の敷地になっている。城の土塁もよい保存状態で残っており、神社の南側の旧舘公園内には内堀も残っている。JR常磐線亘理駅から徒歩約15分。◇臥牛城(がぎゅうじょう)、御館(おだて)とも呼ばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報