涌谷(読み)わくや

日本大百科全書(ニッポニカ) 「涌谷」の意味・わかりやすい解説

涌谷(町)
わくや

宮城県中北部遠田郡(とおだぐん)の町。1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)篦岳(ののだけ)村と合併。旧迫(はさま)川、江合(えあい)川などに囲まれた地で、中央に篦岳丘陵が横たわる。JR石巻(いしのまき)線、気仙沼(けせんぬま)線、国道108号、346号が通じる。古代は蝦夷(えみし)経営の一基地であり、またわが国で最初に金が発見された、いわゆる天平(てんぴょう)産金の地で、黄金山産金遺跡(こがねやまさんきんいせき)は国の指定史跡となっている。近世は涌谷伊達氏(わくやだてし)の城下町で、4代伊達安芸宗重(あきむねしげ)をめぐる伊達騒動があった。石巻別街道と佐沼(さぬま)街道が交差し、江合川の舟運もあり、米、繭、木材などの集散地として栄えた。現在も地方商業の中心で、醸造業が盛んであり、電子工業も行われる。農業では宮城米の栽培が中心だが、ハウス野菜や畜産との複合経営が多くなっている。涌谷伊達氏の居城は城山公園となり、同氏の菩提寺(ぼだいじ)見龍寺(けんりゅうじ)には見龍院御霊屋(おたまや)がある。篦岳には奥州三観音の一つ篦岳観音(篦峯寺(こんぽうじ))があり、ハイキングコースともなっている。長根貝塚(ながねかいづか)は国指定史跡。面積82.16平方キロメートル、人口1万5388(2020)。

[長谷川典夫]

『『涌谷町史』上下(1965、1968・涌谷町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「涌谷」の意味・わかりやすい解説

涌谷[町] (わくや)

宮城県中部,遠田郡の町。人口1万7494(2010)。大崎平野東端にあたり,北を迫(はさま)川,南を江合(えあい)川,東を旧北上川が流れ,中央部に篦(のの)岳丘陵が位置する。涌谷はJR石巻線が通じ,国道108号線と346号線が交差する中心集落で,近世には涌谷伊達氏2万2600石の城下町で,米や繭の集散地としても栄えた。4代伊達宗重は伊達騒動の中心人物として著名である。明治以降も遠田郡の行政・商業の中心地であったが,江合川流域の米作を主とする農業以外に目ぼしい産業がなく,高度経済成長期には人口流出が相次いだため,1970年に過疎町村の指定を受けた。70年以降,石巻市方面から電子部品などの工場進出がみられるが,85~95年の人口は微減の傾向にある。日本で初めて金を産出した地として知られ,町西部の黄金山神社には黄金山産金遺跡(史)があり,《万葉集》にも詠われている。北部には縄文時代中期の長根貝塚(史)もある。
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百科事典マイペディア 「涌谷」の意味・わかりやすい解説

涌谷[町]【わくや】

宮城県中部,遠田(とおだ)郡の町。江合(えあい)川下流域にあり,主集落は伊達安芸の居城地であった。石巻別街道と佐沼街道の交差点にあたり,米,繭,木材の集散で栄えた。酒,みそ,醤油の産も多い。近年は畜産,畑作も行う。日本初の金産出地として知られ,黄金山産金遺跡(史跡)がある。石巻線,気仙沼線が通じる。東日本大震災で,町内において被害が発生。82.16km2。1万7494人(2010)。

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