朝日日本歴史人物事典 「片倉景綱」の解説
片倉景綱
生年:弘治2(1556)
戦国末・江戸前期の伊達家臣。八幡宮神主片倉景重の次男,母は本沢真直の娘。出羽国置賜郡下長井宮村(山形県長井市宮)生まれ。小十郎,備中と称す。米沢城主伊達輝宗の従小姓から天正3(1575)年嗣君梵天丸(政宗)の傅となって以降,常に政宗に近侍し,政宗の軍略にはいつも伊達城実とこの景綱が関与し,天下の名陪臣と称さる。摺上原などの諸合戦に功があり,18年には豊臣秀吉の小田原陣に政宗を説いて斬死覚悟で共に参陣。秀吉の朝鮮出兵にも政宗に従軍。初め大森城から亘理城へ,慶長7(1602)年に白石城1万3000石を拝領。墓は宮崎県白石市の片倉家廟所にある。<参考文献>小林清治『伊達政宗』
(伊藤清郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報