交野離宮跡(読み)かたのりきゆうあと

日本歴史地名大系 「交野離宮跡」の解説

交野離宮跡
かたのりきゆうあと

交野離宮としては「凌雲集」の嵯峨天皇詩題に「和左金吾将軍藤原緒継過交野離宮感旧作」とみえるのみである。交野に行宮があったことは「続日本紀」延暦二年(七八三)一〇月一六日条の「国郡司及行宮側近高年、并諸司陪従者、賜物各有差」にうかがえる。続けて「又、百済王等供奉行在所者一両人、進階加爵」とあって、このときの桓武天皇の行宮が特別の施設ではなく、百済王氏の居宅か百済くだら寺がこれに当てられた可能性は高い。同書同六年一〇月一七日条には「以大納言従二位藤原継縄別業行宮矣」とあり、交野の行宮を継縄の別業と明示した例は他に二例ある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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