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桓武天皇(読み)かんむてんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

桓武天皇
かんむてんのう

[生]天平9 (737). 京都
[没]大同1 (806).3.17. 京都
第50代の天皇在位 781~806)。名は日本根子皇統弥照尊(やまとねこすめろぎいやてりのみこと)。山部親王光仁天皇の第1皇子であったが,母が渡来人の出の高野新笠だったため皇太子となれなかった。皇太子の他戸親王(おさべしんのう)が廃されて,皇位についたときはすでに 45歳であった。奈良時代の仏教政治の弊を除くため,僧の不法を取り締まり,最澄空海を起用して新仏教を興させた。律令政治(→律令制)に改良を加えてその実行を励まし,ことに地方政治に意を注ぎ,また延暦13(794)年平安京を開き,奥羽の蝦夷平定のため坂上田村麻呂を将軍として 3回遠征させた。在位 24年11ヵ月。陵墓京都市伏見区桃山町の柏原陵(かしわばらのみささぎ)。

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百科事典マイペディアの解説

桓武天皇【かんむてんのう】

奈良末期・平安初期の天皇。称徳天皇の死で天武系主流が絶えたあと,781年に即位し,806年まで在位。光仁(こうにん)天皇の皇子,母は高野新笠(たかののにいがさ)。奈良時代の仏教政治の弊害を除くために,新宗派の設立を助け,784年長岡京を造営,794年平安京遷都を行い,律令政治の改良に努力。健児(こんでい)制による軍制を強化,勘解由使(かげゆし)を設けた。また坂上田村麻呂蝦夷(えみし)経営を行わせた。→平氏
→関連項目伊治呰麻呂蒲生野高陽院京都[市]光仁天皇早良親王淳和天皇大日本武徳会藤原魚名藤原種継藤原百川古津平安神宮平安遷都平城天皇遍昭

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

桓武天皇 かんむてんのう

737-806 奈良-平安時代前期,第50代天皇。在位781-806。
天平(てんぴょう)9年生まれ。光仁天皇の第1皇子。母は高野新笠。父の譲位で,天応元年即位。長岡,平安と2度都をうつす。健児(こんでい)や勘解由使(かげゆし)をおき,坂上田村麻呂(さかのうえの-たむらまろ)を征夷大将軍として東北地方に派遣するなど,律令国家としての強化・拡大をはかった。正史「続日本紀(しょくにほんぎ)」を完成させ,その治世中,最澄,空海により唐(中国)から新仏教がつたえられた。延暦(えんりゃく)25年3月17日死去。70歳。墓所は柏原陵(かしわばらのみささぎ)(京都市伏見区)。別名は山部(やまべ)親王,日本根子皇統弥照天皇(やまとねこすめろぎいやてりのすめらみこと),柏原天皇。
【格言など】いにしへの野中古道あらためばあらたまらむや野中古道(「日本後紀」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

桓武天皇

没年:大同1.3.17(806.4.9)
生年:天平9(737)
平安時代最初の天皇。光仁天皇と夫人高野新笠との長男。天智天皇の曾孫。名は山部。母の家柄が低かったため,当初皇位継承者という立場にはなかったが,宝亀3(772)年,36歳に至って,光仁皇后井上内親王が厭魅の罪で廃后,次いでその子他戸親王も廃太子されるにおよび,翌年1月立太子された。ただしこの立太子は藤原百川が「奇計」を用いて実現したもので,のちのち桓武はこれを多としている。天応1(781)年4月に即位,同母弟早良親王を皇太子に立てた。時に45歳。当初,みずからは聖武(広義には天武)系の皇統を受け継いだとの認識をもって行動するが,これを否定する氷上川継などの動きが相次いで起こり,天智系の皇統意識に目覚めさせられている。そこで行ったのが藤原種継の進める平城京の放棄=長岡京遷都で,3年後の延暦3(784)年,万事が改まるという「甲子革令」の年を選んでこれを断行した。この遷都は長らく続いた大和宮都を放棄した「山背」遷都という点でも歴史的意義は大きい。またこの遷都には寺院勢力の抑制も意図されており,寺院の移転や造営を認めていない。しかし翌4年9月,伊勢斎王となった娘の朝原内親王を送るため平城旧宮に滞在していた留守中,遷都=造都の中心人物種継が暗殺され関係者を厳しく処断したが,事業は大打撃を受けることになる。もっともこの事件は,はからずも弟の早良を廃太子に追いやり,子の安殿親王(のちの平城天皇)の立太子を実現するきっかけともなった。その後皇后乙牟漏,夫人旅子などが相次いで没し,特に11年,安殿親王の病弱が早良の祟りと占いに出たことなどから,和気清麻呂の建策に従い長岡棄都を決意,12年新京の地として山背国葛野郡宇太村を選んで造都に着手,13年10月22日,このときも「辛酉革命」に当たる日次を選び長岡京より遷っている。翌11月の詔で,新京を平安京と命名するとともに山背国を山城国と改めている。その後における造都事業は自身でたびたび工事現場を視察するなど,長岡造都時に比べるとはるかに積極的かつ慎重に進めている。一方東北経略も光仁朝の課題を引き継ぐ形で7年以降3次にわたって実施しているが,この間における坂上田村麻呂の果たした役割が大きい。 延暦23(804)年を過ぎたころからしばしば重病となり,24年12月,ともに腹心の藤原緒嗣と菅野真道に議論させた,いわゆる「徳政相論」を承けて蝦夷経営と造都事業を打ち切ったが,これは事態を文字通り劇的に終結させた桓武一流のパフォーマンスであったとみられる。「政事に心を用い,文華は好まなかった」といわれるゆえんである。もっとも23年,最澄や空海を伴った遣唐使の発遣は,のち嵯峨朝に至ってピークに達する唐風文化の隆盛をもたらしたという点で重要である。「造都,軍事による出費は多かったが,万世の基礎を築いた」というのが『日本後紀』に記す桓武評である。山陵は当初宇多野(京都市右京区)とされたが賀茂神社に近いことから柏原山陵(伏見区)に改められた。母が渡来王族の後裔であったことから百済王氏の男女を重用して「朕の外戚」と呼び,またその一族の女性を多数後宮に入れたが,これが後宮制度の変化をもたらす要因となった。<参考文献>村尾次郎『桓武天皇』

(瀧浪貞子)

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世界大百科事典 第2版の解説

かんむてんのう【桓武天皇】

737‐806(天平9‐大同1)
第50代に数えられる天皇。在位781‐806年。光仁天皇を父とし,高野新笠を母として生まれ,名を山部(やまべ)王といった。父は天智天皇の孫,施基(しき)皇子の子で白壁(しらかべ)王といい,天武系皇統の世に官人として仕え,大納言に昇ったが,770年(宝亀1)称徳天皇が没したとき,62歳で皇位を継承した。光仁天皇には皇后井上(いかみ)内親王との子とする他戸(おさべ)親王があり,これが皇太子に立てられた。

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大辞林 第三版の解説

かんむてんのう【桓武天皇】

737~806) 第五〇代天皇(在位781~806)。名は山部やまのべ。光仁天皇の皇子。794年、都を平安京に遷した。在位中は坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北地方に派遣するなど、朝廷権力を大きく伸長した。陵墓は山城国紀伊郡柏原にあり、柏原天皇とも呼ばれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

桓武天皇
かんむてんのう
(737―806)

日本古代の天皇(在位781~806)。父は天智(てんじ)天皇の孫光仁(こうにん)天皇、母は百済(くだら)系渡来氏族の出の高野新笠(たかののにいがさ)。諱(いみな)は山部(やまべ)。その資質を見抜いた藤原百川(ももかわ)の策謀により、773年(宝亀4)皇太子となり、781年(天応1)45歳で即位した。
 784年(延暦3)には、それまでの平城京から、山背(やましろ)国(京都府)の長岡京への遷都を断行した。翌年、遷都と絡んで、造営の中心人物藤原種継(たねつぐ)が暗殺され、皇太弟早良(さわら)親王が廃位され死亡する事件があった。その後、親王の怨霊(おんりょう)の所為とされる近親の死亡が相次いだため、794年には同じ山背の葛野(かどの)に遷都、平安京と命名した。天皇は他方、蝦夷(えみし)の抵抗を圧服して東北地方の支配を進め、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を起用、802年には胆沢(いさわ)城(岩手県)を築き、その平定に成功した。天皇はまた、地方政治に意を用い、国司・郡司に対する監督を強化し、国司交替の円滑化を図って勘解由使(かげゆし)を置き、また交替式を定めた。班田を励行させ、辺要の地を除いて兵士を廃止して健児(こんでい)を置き、出挙(すいこ)の利率や雑徭(ぞうよう)の日数を軽減して農民の負担を省いたが、造都と征夷の二大事業には惜しみなく人民の労力と国家の財力とを投入した。天皇は貴族勢力を抑えて国政を主導し、政局の転換に成功したが、晩年その政策は行き詰まり、805年、藤原緒嗣(おつぐ)の建議によって造都・征夷の事業を中止、翌年70歳で没し、山城国紀伊郡(京都市伏見(ふしみ)区)の柏原(かしわばら)山陵に葬られた。[笹山晴生]
『村尾次郎著『桓武天皇』(1963・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の桓武天皇の言及

【長岡京】より

…784年(延暦3)から794年まで,山城国乙訓(おとくに)郡(現在の京都府向日(むこう)市,長岡京市,京都市,乙訓郡大山崎町)にあった古代の都城。 奈良時代末期の781年(天応1),父光仁天皇からはからずも帝位をゆずられた山部親王(桓武天皇)は,旧都平城京を捨てて新都を建設し,人心を一新して律令体制をたてなおそうとした。それは,平城京時代70年間に強大になった寺院勢力などの旧弊を断ち切り,新しい政治を行うことをめざすことでもあった。…

【平安神宮】より

…京都市左京区に鎮座。桓武天皇と孝明天皇(1940年合祀)をまつる。桓武天皇の平安京遷都1100年記念祭に当たり,官幣大社として1895年創建された。…

※「桓武天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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