交野(読み)カタノ

デジタル大辞泉 「交野」の意味・読み・例文・類語

かたの【交野】

大阪府北東部の市。淀川支流の天野川の中流域にあり、住宅地獅子窟寺がある。人口7.8万(2010)。
大阪府枚方ひらかた交野市一帯の丘陵。平安時代には皇室の遊猟地、桜の名所。[歌枕]
「又や見む―の御野みのの桜狩花の雪散る春のあけぼの」〈新古今・春下〉

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精選版 日本国語大辞典 「交野」の意味・読み・例文・類語

かたの【交野】

  1. [ 一 ] 大阪府枚方・交野市付近の台地。平安以降、皇室の狩猟地であった。片野。歌枕。
    1. [初出の実例]「いま狩するかたのの渚の家、その院の桜ことにおもしろし」(出典:伊勢物語(10C前)八二)
  2. [ 二 ] 大阪府北東部の地名生駒山地の北麓にあたり、市域南部は金剛生駒国定公園に属する。獅子窟寺がある。昭和四六年(一九七一市制
  3. [ 三 ] 大阪府の北東部にあった郡。もと茨田(まんだ)郡に属し、大宝年間(七〇一‐七〇四)に分割されて交野郡となった。明治二九年(一八九六)讚良(ささら)・茨田の両郡と合併して北河内郡となる。

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日本歴史地名大系 「交野」の解説

交野
かたの

片野とも記す。広義では枚方市の大部分と交野市一帯の旧交野郡の原野をさすが、行幸・遊猟が行われ古典にもみえる交野・交野原は、主として枚方市北西部の淀川東岸沿いの牧野まきのなぎさ禁野きんや一帯をさす。交野への行幸の初見は「続日本紀」宝亀二年(七七一)二月一三日条の光仁天皇の行幸である。桓武天皇は延暦二年(七八三)一〇月一四日行幸して「放鷹遊猟」したのをはじめ、同三年の長岡京遷都のためもあって数多くの行幸があり、嵯峨天皇もたびたび行幸した(日本後紀など)。このほか仁明天皇の承和一一年(八四四)二月二五日の行幸(続日本後紀)、宇多上皇の昌泰元年(八九八)一〇月二一日の御幸があった(日本紀略)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「交野」の意味・わかりやすい解説

交野(市)
かたの

大阪府の北東部にある市。1971年(昭和46)市制施行。『和名抄(わみょうしょう)』に「加多乃」とあり、西方に離れた淀(よど)川べりから望むと一段高い台地に位置することから「肩野」ともよばれたらしい。東西に走るJR片町線と南北に走る京阪電鉄交野線がある。国道168号が通じる。市域は標高20~30メートルの交野洪積台地とその東に続く奈良県境の生駒山地(いこまさんち)からなり、その間を淀川の支流天野(あまの)川が流れている。生駒山地には源氏滝、獅子窟(ししくつ)、磐船岩(いわふねいわ)などの奇岩や獅子窟寺などの古刹(こさつ)と、ほしだ園地、くろんど園地の二つの府民の森があり、金剛生駒紀泉国定公園(こんごういこまきせんこくていこうえん)に含まれる。市域の開発は古く、縄文時代の神宮寺遺跡など数多くの遺跡が市内に散在する。平安時代以降は皇室の狩猟地として、春は桜、秋は萩(はぎ)の咲くのどかな地域で、『伊勢(いせ)物語』『枕草子(まくらのそうし)』『太平記』に登場し、交野が原、天の川などは歌枕となっている。近世には、酒造、そうめん製造や米麦農業が営まれていた。第二次世界大戦中、桜や多くの木が切り払われ、最近は大阪市のベッドタウンとして住宅団地の建設も盛んで、緑に包まれた田園都市も大きく変わりつつある。北田家住宅、山添(やまぞえ)家住宅(ともに国指定重要文化財)は江戸初期の農家の姿を伝える。私市(きさいち)には国宝の薬師如来坐像を本尊とする獅子窟寺や大阪市立大学理学部附属植物園(現、大阪公立大学附属植物園)がある。面積25.55平方キロメートル、人口7万5033(2020)。

[安井 司]

『『交野市史(交野町史復刻)』(1981・交野市)』『『交野市史 民俗編』『交野市史 自然編1、2』『交野市史 考古編』(1981、1986、1992・交野市)』


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改訂新版 世界大百科事典 「交野」の意味・わかりやすい解説

交野[市] (かたの)

大阪府北東部の市。1971年市制。人口7万7686(2010)。市域は枚方丘陵と生駒山地にまたがり,淀川の支流天野川上流に位置する。縄文時代や弥生時代の遺跡が多く,天野川沿いには条里地割の遺構がみられる。平安時代以降は皇室の狩猟地となり,鷹狩などが行われ,詩歌に歌われた。江戸時代は米麦作と河内木綿の栽培が行われた。1960年ころまでは農村的性格が強かったが,その後京阪電鉄交野線の複線化などに伴って宅地開発が進み,急激な都市化が起こった。さらにJR片町線の複線化により,この沿線でも宅地化が進んでいる。このため米のほかイチゴ,ブドウ栽培などの農業は近年停滞傾向にある。山地部は金剛生駒国定公園に含まれ,獅子窟(ししくつ)寺,磐船神社や大阪市立大学理学部付属植物園などがあり,レクリエーション地帯となっている。重要文化財に指定された1705年(宝永2)建造の庄屋の住宅(山添家)や江戸時代の代官屋敷が残っている。
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百科事典マイペディア 「交野」の意味・わかりやすい解説

交野[市]【かたの】

大阪府北東部の市。1971年市制。北半は交野台地で,市域の50%が山林。片町線,京阪交野線が通じる中心市街があり,機械・繊維工業が行われる。台地上では米麦を産し,南半部は生駒山地山麓で,ミカン,モモ,イチゴを栽培,交通網の整備に伴い住宅都市へ変わりつつある。風化による花コウ岩の奇勝が多く,金剛生駒国定公園(現金剛生駒紀泉国定公園)に属する行楽地でもある。25.55km2。7万7686人(2010)。

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世界大百科事典(旧版)内の交野の言及

【鷹飼】より

…道鏡の時代の764年(天平宝字8)に再び廃止されて放生司となり,791年(延暦10)鷹戸も停止されたが,主鷹司は794年までには復置されている。桓武天皇は著しく鷹狩を好み,しばしば河内の交野(かたの)で放鷹遊猟を行い,また9世紀には鷹を好む天皇が多かった。 この間,773年(宝亀4)以来,795年,804年と,しばしば私的に鷹を飼うことが禁制され,808年(大同3)親王,観察使以上,六衛府次官以上にはとくに許されたが,鷹飼は天皇の権威と結びつく性格を強めている。…

※「交野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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