出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大阪府の北東部にある市。1971年(昭和46)市制施行。『和名抄(わみょうしょう)』に「加多乃」とあり、西方に離れた淀(よど)川べりから望むと一段高い台地に位置することから「肩野」ともよばれたらしい。東西に走るJR片町線と南北に走る京阪電鉄交野線がある。国道168号が通じる。市域は標高20~30メートルの交野洪積台地とその東に続く奈良県境の生駒山地(いこまさんち)からなり、その間を淀川の支流天野(あまの)川が流れている。生駒山地には源氏滝、獅子窟(ししくつ)、磐船岩(いわふねいわ)などの奇岩や獅子窟寺などの古刹(こさつ)と、ほしだ園地、くろんど園地の二つの府民の森があり、金剛生駒紀泉国定公園(こんごういこまきせんこくていこうえん)に含まれる。市域の開発は古く、縄文時代の神宮寺遺跡など数多くの遺跡が市内に散在する。平安時代以降は皇室の狩猟地として、春は桜、秋は萩(はぎ)の咲くのどかな地域で、『伊勢(いせ)物語』『枕草子(まくらのそうし)』『太平記』に登場し、交野が原、天の川などは歌枕となっている。近世には、酒造、そうめん製造や米麦農業が営まれていた。第二次世界大戦中、桜や多くの木が切り払われ、最近は大阪市のベッドタウンとして住宅団地の建設も盛んで、緑に包まれた田園都市も大きく変わりつつある。北田家住宅、山添(やまぞえ)家住宅(ともに国指定重要文化財)は江戸初期の農家の姿を伝える。私市(きさいち)には国宝の薬師如来坐像を本尊とする獅子窟寺や大阪市立大学理学部附属植物園(現、大阪公立大学附属植物園)がある。面積25.55平方キロメートル、人口7万5033(2020)。
[安井 司]
『『交野市史(交野町史復刻)』(1981・交野市)』▽『『交野市史 民俗編』『交野市史 自然編1、2』『交野市史 考古編』(1981、1986、1992・交野市)』
大阪府北東部の市。1971年市制。人口7万7686(2010)。市域は枚方丘陵と生駒山地にまたがり,淀川の支流天野川上流に位置する。縄文時代や弥生時代の遺跡が多く,天野川沿いには条里地割の遺構がみられる。平安時代以降は皇室の狩猟地となり,鷹狩などが行われ,詩歌に歌われた。江戸時代は米麦作と河内木綿の栽培が行われた。1960年ころまでは農村的性格が強かったが,その後京阪電鉄交野線の複線化などに伴って宅地開発が進み,急激な都市化が起こった。さらにJR片町線の複線化により,この沿線でも宅地化が進んでいる。このため米のほかイチゴ,ブドウ栽培などの農業は近年停滞傾向にある。山地部は金剛生駒国定公園に含まれ,獅子窟(ししくつ)寺,磐船神社や大阪市立大学理学部付属植物園などがあり,レクリエーション地帯となっている。重要文化財に指定された1705年(宝永2)建造の庄屋の住宅(山添家)や江戸時代の代官屋敷が残っている。
執筆者:秋山 道雄
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…道鏡の時代の764年(天平宝字8)に再び廃止されて放生司となり,791年(延暦10)鷹戸も停止されたが,主鷹司は794年までには復置されている。桓武天皇は著しく鷹狩を好み,しばしば河内の交野(かたの)で放鷹遊猟を行い,また9世紀には鷹を好む天皇が多かった。 この間,773年(宝亀4)以来,795年,804年と,しばしば私的に鷹を飼うことが禁制され,808年(大同3)親王,観察使以上,六衛府次官以上にはとくに許されたが,鷹飼は天皇の権威と結びつく性格を強めている。…
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