仁和学区(読み)にんながつく

日本歴史地名大系 「仁和学区」の解説

仁和学区
にんながつく

およそ北は一条いちじよう通、南は下立売しもたちうり通、東は千本せんぼん通、西は天神てんじん(紙屋川)にわたる旧学区。江戸時代は上京の親町組である上古京聚楽組、聚楽組の新シ町などであった。名称は明治二年(一八六九)の上大組八番組(東はしももり通、西は天神川)と同九番組(東は千本通、西は下ノ森通)から、前者は上京一三区(明治五年)、上京一三組(同一二年)後者は上京一四区(同五年)、上京一四組(同一二年)となり、明治二五年に統合して上京一〇学区、昭和四年(一九二九)四月に仁和学区。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 紙屋川 改称 モリ

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む