日本歴史地名大系 「仁王座村」の解説 仁王座村におうざむら 大分県:臼杵市仁王座村[現在地名]臼杵市二王座(におうざ) 二王座臼杵川下流右岸にあり、東は海添(かいぞえ)村。かつて当地神木原(かみのきばる)に鎮座していた祇園社(現八坂神社)の仁王門門前を仁王座と称したことが村名の起源という(臼杵小鑑)。「大友家文書録」によれば、天正一四年(一五八六)吉岡甚橘(甚吉)らは臼杵に進攻した島津軍を仁王座口で撃退している。同様の記述が「大友興廃記」「本朝武林伝」にもみえる。文禄二年(一五九三)の臼杵庄惣町屋鋪検地帳写(渡辺家文書)に臼杵町屋敷のうち当村内に所在する臼杵庄吉水小路片(うすきのしようよしみずしようじかた)町がみえ、高一五石余。「臼杵藩旧貫史」に「多福寺ニ昔時吉水某住ス下ニ片町在之故名立ト申伝、其境何地ト云事相知不申」と記される。慶長二年(一五九七)の臼杵庄検地帳写(渡辺家文書)に村名がみえ高四五石余、うち田方三〇石余・畑方一五石余、村位は中。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by