仁田内村
にたのうちむら
[現在地名]上県町佐護南里 仁田ノ内
佐護村のうちで、平野の南西部を占める。仁田・伊奈・志多留諸村に通じる道がある。佐護七村の一つで、仁田ノ内として仁多乃宇知と訓じる(津島紀略)。御嶽の北にある村で、地名は仁田河落の転じたもので、古くから仁田に出る道があったことに由来するという(津島紀事)。仁田に通じる関門つまり仁田口(仁田河内)の意であろうか。村外れの川沿いにある八幡壇遺跡・ヘボノ遺跡では弥生時代の広形銅矛が出土し、また弥生土器や須恵器が広く分布した地がある。伝福寺跡に南北朝期から室町初期の間の造立と推定される五輪塔(安山岩質凝灰岩製)がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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