上県町(読み)かみあがたちよう

日本歴史地名大系 「上県町」の解説

上県町
かみあがたちよう

面積:一五七・七一平方キロ

対馬島の北部、西面にしめに位置する。朝鮮海峡を挟んで、朝鮮半島に最も近く対峙している。東部は上対馬町、南部はみね町と接する。町域の中央部に上県郡の主峰嶽があり、これを中心に高い山嶺と深い谷が起伏をみせ、森林が広がる。御嶽から北に流れる佐護さご川と、南流する仁田にた川は島内の一、二の流路をもつ大川で、流域には平野が開け、島の穀倉地帯といわれてきた。仁田川は上流を迷暮路めぼろ(目保呂川)ともよび、また瀬田せた川ともいい、河口近くで飼所かいどころ川と合流して、深い入江の仁田湾に注ぐ。海岸部には同湾の北岸に張出す伊奈いな崎のほか、北部にそう崎がある。国道三八二号のほか、県道の舟志しゆうじ宮原みやばる線・上県―小鹿おしか港線・鹿見ししみ港線などが通る。

仁田港の南の久原くばらで縄文時代早期の土器、対岸の越高こしたかでは同早期末から前期初頭の遺跡から釜山東三洞遺跡の最下層の隆起文土器が出土。同湾の北側入口に近い志多留したるにある縄文後期の貝塚は北九州の鐘ヶ崎式土器と西平式土器を主体とするが、これらは黒曜石とともに東三洞遺跡の上層からも出ており、当地を挟んで前期は朝鮮半島と西北九州、後期になると北部九州間に文化の交流があったことがうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報