上県郡(読み)かみあがたぐん

日本歴史地名大系 「上県郡」の解説

上県郡
かみあがたぐん

面積:三三七・六八平方キロ
上県かみあがた町・上対馬かみつしま町・みね

対馬古来より北部を上県かむつあがた、南部を下県しもつあがたと称するが、古代の上県郡は浅海あそう(浅茅湾)以北総称であった。近世、対馬二郡八郷を上四郷・下四郷とするために浅海の北岸にある仁位にい(現豊玉町)下県郡に編入されたことにより、その仁位郷と上県郡三根みね郷の境が郡境となった。こうして南辺は下県郡豊玉とよたま町と境を接するが、東は対馬海峡から日本海に面し、西・北は朝鮮海峡に臨む。この海峡は西水道ともよばれ、日本と韓国の国境線で、晴天の日には韓国の山が見えるほど近い位置にある。上県の中央にひときわ高く、霊峰嶽がそびえ、古来航海の目標とされてきた。対馬は海上から望むと中央部が水平線下に没し、あたかも二島のようにみえることがある。この北島を上県、南島を下県と定めたわけであるが、九州島とくに大宰府との距離からみた場合、この郡名の上・下は逆で、現在の下県郡のほうこそ上県とするに相応しい。しかし対馬の上県・下県は大宰府ができる以前からある。対馬北部から九州に寄らず、日本海航路で畿内に向かう場合、南島から瀬戸内航路で上京するよりも近いことから、北部が上県郡になったのであろう。

郡名の表記は上県で、その訓は「延喜式」にカムツアカタ(吉田本)、カムツカホリ(武田本)とあり、また同書民部省ではカンツコホリと付している。「和名抄」名博本ではカンツアカタとする。「拾芥抄」ではカムツアカタ、カミアカタ、カンカツ、「寛政重修諸家譜」では「かみあがた」とある。中世の上県郡域に古代の郷名を継ぐ中世的な郡が四郡あらわれ、宗氏の島内支配の単位を直接反映した。元禄一二年(一六九九)にこの郡名を郷名に変えるまで公的な郡として機能していた。したがってこの間、上県郡は消滅し、対馬島の北部方面という意で上津かみつ郡または上郡と称されており、カムツコホリとよんでいた。

〔古代〕

「日本書紀」顕宗天皇三年四月条に、対馬下県直が高皇産霊神の祠に侍すとあるところから、下県に対する上県もあったはずで、大宰府所管以前に上県・下県の称があったことになる。「続日本紀」神護景雲二年(七六八)二月五日条に対馬島上県郡とみえるのが郡名の早い例で、郡内の高橋連波自采女が夫やその父の死後もよくその墳墓を守った孝義に対して、終身の租を免じられた。現豊玉町田の上里たのかみざとに采女の塚と伝える無銘の碑があり、波自はじという字名がある。承和三年(八三六)八月、遣唐使の第三船が上県郡の南浦に漂着し、船内には三名しかいなかったという大宰府からの報告があったが(「続日本後紀」同年八月二五日条)、この南浦は現上県町伊奈いなに比定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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