日本歴史地名大系 「仁藤村」の解説 仁藤村にとうむら 静岡県:掛川市仁藤村[現在地名]掛川市仁藤逆(さか)川の右岸、掛川城東の侍町の東にある。日東・二藤とも書く(掛川誌稿)。かつては逆川の支流神代寺(かんだいじ)川より東は仁藤村であったともいわれ、同川東の東海道周辺が掛川宿仁藤町となった。正保城絵図では神明(しんめい)山・妙見(みようけん)山の西麓まで侍町・足軽町が達しており、神明山の西にわずかに浅田と記される。天文六年(一五三七)六月九日の今川義元判物(長松院文書)によると、長松(ちようしよう)院の寺領が安堵されており、そのうちに「門前奥野村仁藤内堂脇、榛原宮田名、彼三ケ所者」とみえ、当時の仁藤は江戸期の道脇(どうわき)村をも含んでいたと考えられる。文禄二年検地高目録に「仁藤」とみえ、高二六石余。元和五年(一六一九)以降は掛川藩領。正保郷帳では田方一五石余・畑方八石余、ほかに真如(しんによ)寺(現曹洞宗)領九石・正願(しようがん)寺(現日蓮宗)領四石・神宮(じんぐう)寺(現曹洞宗)領四石がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by