今島洞(読み)こんじまぼら

日本歴史地名大系 「今島洞」の解説

今島洞
こんじまぼら

[現在地名]美山町円原えんばら

円原村枝郷で、上流には白岩しらいわ洞・万所まんどころ洞などがあった。享保七年(一七二二)の円原村明細帳(河口文書)に枝郷「今嶋洞道程拾八町程」とある。江戸時代を通じて幕府領。嘉永四年(一八五一)の村明細帳によると、承応二年(一六五三)検地では高五三石余・反別八町六反余とある。家数四九(うち高持四一・水呑八)、人数男一二二・女一一〇、牛九・馬一一とあり、山年貢は口米ともで米二石二斗九升二合、紙船役銀九匁二分五厘、猟師筒鉄砲役銀七匁五分、威筒鉄砲役銀一匁五分で、庄屋給金一両。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む