伊掛山(読み)いかけやま

日本歴史地名大系 「伊掛山」の解説

伊掛山
いかけやま

崎山さきやま半島の中央部にある標高二五二・三メートルの山。古くは居掛山・伊影山・木綿懸山・笈掛山・笊籬山・鋳懸山などと記した。天正一〇年(一五八二)前田利家は温井景隆・三宅長盛らと連合した石動せきどう山衆徒を打破り、戦禍を避けた寺坊は石動山五社権現を当山に移した(「北陸七国志」加賀藩史料)。同一一年一月二三日、いおりの土豪高橋氏と芝草屋五郎左衛門尉の両人が庵のうちの「いかけ山」の管理を命じられており(「前田利家黒印状」高橋文書)、石動山衆徒の監視を強める意味もあったといわれる。同年一〇月一七日正親町天皇の石動山再興の綸旨(伊須流岐比古神社文書)が出され、慶長二年(一五九七)五社権現は石動山に還住した(「前田利家還住印判状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む