七尾市(読み)ナナオシ

デジタル大辞泉 「七尾市」の意味・読み・例文・類語

ななお‐し〔ななを‐〕【七尾市】

七尾

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日本歴史地名大系 「七尾市」の解説

七尾市
ななおし

面積:一四三・八七平方キロ

県の北部、能登半島の中央部東側に位置する。南は富山県氷見市に、西から南にかけて田鶴浜たつるはま町・鳥屋とりや町・鹿島町に接する。北は七尾湾を隔てて能登島のとじま町に臨む。東は石動せきどう山系から崎山さきやま半島が延びて富山湾と七尾湾を区切り、中央部は南北に延びる邑知おうち地溝帯(邑知低地帯)が扇状に広がり市街地を形づくる。石動山系にじよう(三八〇・七メートル)伊掛いかけ(二五二・三メートル)が連なり、氷見市境に高坂たかさか(五〇七・六メートル)がそびえる。南部を熊渕くまぶち川が山間地を東流し、崎山半島北部を崎山川が北流して富山湾に注ぐ。中央平野部を御祓みそぎ川が流れて七尾南湾に、西部は二宮にのみや川が田鶴浜町を経て七尾西湾に注ぐ。JR七尾線が市域を通り、石動山系山麓を通って市域に入る国道一五九号は同二四九号となって北進し、また分岐した国道一六〇号は崎山半島を横切って灘浦なだうら海岸から氷見市へ通じる。古代には国府や国分二寺が置かれ、中世には守護畠山氏の本拠地となり、近世前田利家の小丸山こまるやま城が築かれるなど、能登国の政治・経済・文化の中枢として発達した。

〔原始・古代〕

縄文時代の集落は主として台地などの高燥地に営まれ、前期初頭頃の遺跡として崎山半島の湯川ゆがわムカイダ・ウラタンボ遺跡が、同後半には新保しんぼA遺跡がある。中期に入ると、かつて入江をなしていた赤浦あかうら潟に臨んだ赤浦台地に大規模な集落が形成された。赤浦遺跡(消滅)では竪穴住居跡や土坑状遺構など多数を検出しているが、とくに注目されたのは北陸では数少ない鹹水性貝塚の発見であり、サバ、マアジ、マイワシ、イルカなどの魚骨や骨角器も出土している。縄文後期以降の遺跡としては万行まんぎよう遺跡が著名で、石冠・大型磨製石斧・土偶頭部などが採集されている。稲作や金属器を伴う弥生時代になると、初期の段階(柴山出村式期)小島六十苅こじまろくじつかり遺跡があるが、丘陵上に立地する特殊な小集落であった。中期に入ると邑知地溝帯周辺で水田経営が進み、細口源田山ほそぐちげんだやま遺跡では県内最古の方形周溝墓群が発見され、話題となった。平成二年(一九九〇)に発掘された藤野ふじの遺跡(小松式期)は市街地を一望できる高燥地に立地するが、広場を中心に竪穴住居十数棟が建てられていた。

海上交通に恵まれた七尾市域は、能登でもいち早く古墳群の形成をみる地域であり、とくに藤橋ふじはし町の岩屋いわやから国分こくぶ町にかけての丘陵尾根筋には、前期から中期前葉にかけての前方後方墳六基が築かれている。うち発掘された国分尼塚あまづか一号墳(全長五二・五メートル)では、割竹形木棺から舶載鏡・銅鏃・刀剣・玉類など多彩な副葬品を検出し、畿内政権との関係がかなり緊密であったことを想定させた。

七尾市
ななおし

2004年10月1日:七尾市と田鶴浜町・中島町・能登島町が合併
【田鶴浜町】石川県鹿島郡
【中島町】石川県:鹿島郡
【能登島町】石川県:鹿島郡
【七尾市】石川県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「七尾市」の意味・わかりやすい解説

七尾〔市〕
ななお

石川県能登半島東岸,七尾湾沿岸地域と,能登島からなる市。南は富山県に接する。七尾港を中心とする能登半島最大の商工業都市。2004年,旧七尾市と田鶴浜町,中島町,能登島町の 1市 3町が合併し設立。旧七尾市は 1939年,七尾町と矢田郷村,東湊村,西湊村,徳田村,石崎村の 5村,および和倉町の一部が合体して市制,1954年北大呑村,崎山村,南大呑村,高階村の 4村を編入。市名の由来は,国の史跡七尾城跡のある城山に尾根が七つあることによる。養老2(718)年能登国府が置かれた地で,承和10(843)年定額寺の大興寺が国分寺に転用された。室町時代には畠山氏が東部丘陵地の七尾城を本拠としたが,天正5(1577)年上杉謙信により落城。同 9年前田利家が現在の小丸山公園に築城し,金沢に移るまで居城とした。七尾港は天然の良港のため北前船でにぎわった。明治以降,ロシア革命まではロシアの沿海州と,第2次世界大戦までは朝鮮や中国東北地方との貿易が行なわれた。七尾湾沿岸では,カキやハマチの養殖が広く行なわれる。七尾地区では PSコンクリート,製材,水産加工などの工業が発展し,ケイ藻土を原料とするこんろの製造も続いている。田鶴浜地区は古くから建具製造が盛んで,合成繊維を中心とした織物も行なわれる。中島地区と能登島地区では,米作を中心とした農業や畜産業も行なわれている。西湾の南東岸に和倉温泉,南湾の東岸には観音崎を中心とする景勝地があり,湾岸部一帯は能登半島国定公園に指定されている。毎年 5月3~5日に行なわれる山王神社の「青柏祭の曳山行事」(→青柏祭)は国の重要無形民俗文化財で,2016年に「山・鉾・屋台行事」の一つとして国際連合教育科学文化機関 UNESCO世界無形遺産に登録された。また 9月20日に久麻加夫都阿良加志比古神社(熊甲宮)で行なわれる「熊甲二十日祭の枠旗行事」(→お熊甲祭)も国の重要無形民俗文化財に指定されている。7月31日に能登島で行なわれる能登の火祭,8月第1土曜日に漁師町石崎で行なわれる石崎奉燈祭も有名。JR七尾線,のと鉄道七尾線,国道159号線,160号線,249号線,能登道路が通る。能登島地区は,能登島大橋で七尾地区と,ツインブリッジのとで中島地区と結ばれている。面積 318.29km2。人口 5万300(2020)。

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