…日向国那珂郡飫肥に藩庁を置いた外様小藩。1587年(天正15)豊臣秀吉の九州出兵後,伊東祐兵(すけたか)が那珂・宮崎両郡に高2万8000石を給されたのが藩の興りである。2代祐慶(すけのり)のときに5万7086石の検地高をみたが,その後2度の分知があって総高5万1000石の石高が確定した。5代祐実は,1684年(貞享1)の地震によって被害をうけた飫肥城の修築,郷士制の制定,士農に対する盆踊の公認など果敢な政策を実施し,藩中興の主に位置づけられる。…
※「伊東祐鐘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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