伊藤慶之助(読み)イトウ ケイノスケ

20世紀日本人名事典 「伊藤慶之助」の解説

伊藤 慶之助
イトウ ケイノスケ

大正・昭和期の洋画家



生年
明治30(1897)年6月14日

没年
昭和59(1984)年6月5日

出生地
大阪市東区石町

主な受賞名〔年〕
西宮市文化賞(第1回)〔昭和36年〕,兵庫県文化賞〔昭和43年〕

経歴
大正3年赤松麟作について絵を学び、6年上京、本郷洋画研究所で岡田三郎助師事する。7年二科展に初入選し、13年春陽会にも入選した。昭和4年フランスに渡り、アカデミー・コラロッシ、アカデミー・グラン・ショーミエールで学ぶ。サロン・ドートンヌやサロン・デザンデパンダンなどに出品。7年帰国、同年春陽会に出品、14年同会員となる。戦後も春陽会に出品を続ける傍ら、46年まで大手前女子大学教授を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤慶之助」の解説

伊藤慶之助 いとう-けいのすけ

1897-1984 大正-昭和時代の洋画家。
明治30年6月14日生まれ。赤松麟作,のち岡田三郎助に師事。大正7年二科展に初入選。昭和4年渡仏。サロン-ドートンヌなどに出品。7年帰国後は春陽会展に出品をつづけ,14年会員。大手前女子大教授。昭和59年6月5日死去。86歳。大阪出身。作品に「巴里郊外の家」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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