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岡田三郎助 おかだ さぶろうすけ

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美術人名辞典の解説

岡田三郎助

洋画家。佐賀県生。旧姓は石尾、幼名は芳三郎。上京し曽山幸彦に洋画を学び、のち黒田清輝天真道場に入門。また文部省留学生として渡仏、ラファエルコランに師事。黒田らと白馬会を創立、また藤島武二と本郷洋画研究所を創立した。東美校教授。帝国美術院会員。帝室技芸員文化勲章受章。昭和14年(1939)歿、70才。

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デジタル大辞泉の解説

おかだ‐さぶろうすけ〔をかだサブラウすけ〕【岡田三郎助】

[1869~1939]洋画家。佐賀の生まれ。黒田清輝らに学び、のちフランスに留学し、ラファエル=コランに師事。外光派的作風の風景画と日本的情趣の装飾的女性像を描いた。また、舞台美術・図案・工芸の分野にも貢献。第1回の文化勲章受章。

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百科事典マイペディアの解説

岡田三郎助【おかださぶろうすけ】

洋画家。佐賀県生れ。曾山幸彦に洋画を学び,黒田清輝久米桂一郎らから外光派の技法を学ぶ。1896年白馬会創立に参加。翌年渡仏してR.コランに師事,1902年東京美術学校教授となる。
→関連項目児島善三郎古沢岩美三岸節子

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

岡田三郎助 おかだ-さぶろうすけ

1869-1939 明治-昭和時代前期の洋画家。
明治2年1月12日生まれ。曾山幸彦,黒田清輝にまなぶ。明治30年からはフランスでコランに師事する。帰国後,東京美術学校(現東京芸大)教授。大正元年本郷洋画研究所を設立。帝国美術院会員。昭和12年第1回文化勲章。昭和14年9月23日死去。71歳。肥前佐賀出身。旧姓は石尾。幼名は芳三郎。代表作に「某夫人像」「読書」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

おかださぶろうすけ【岡田三郎助】

1869‐1939(明治2‐昭和14)
洋画家。佐賀市に生まれ,4歳のときに上京。東京の旧鍋島藩邸に寄寓し,邸内にあった百武兼行の滞欧作品をみて洋画家を志す。はじめ曾山幸彦の画塾で指導をうけ,後に同郷の久米桂一郎の紹介で黒田清輝を知り,白馬会の創設に参加。黒田の後継者の一人として,同時代の藤島武二とともに官展系洋画家の中心的な存在となる。1897年に渡仏し,パリでR.コランの指導をうけて厳格な画面構成と色彩の重要性を知る。1902年に帰国し,以後,東京美術学校教授として後進の指導にあたる。

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大辞林 第三版の解説

おかださぶろうすけ【岡田三郎助】

1869~1939) 洋画家。佐賀県生まれ。黒田清輝らの影響を受け、白馬会の創立に参加。渡仏しコランに師事。帰国後、東京美術学校で後進を指導。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

岡田三郎助
おかださぶろうすけ

[生]明治2(1869).1.12. 佐賀
[没]1939.9.23. 東京
洋画家。鍋島藩士石尾孝基の三男で,1887年岡田家の養子となった。百武兼行の作品に出会って洋画家を志し,曾山幸彦に師事。次いで同郷の久米桂一郎より黒田清輝に紹介され,その指導を受けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

岡田三郎助
おかださぶろうすけ
(1869―1939)

洋画家。明治2年1月12日佐賀県に生まれる。初め曽山幸彦(そやまゆきひこ)につき、のち黒田清輝(せいき)に外光派の技法を学ぶ。1896年(明治29)白馬会の創立に参加し、新設の東京美術学校西洋画科の助教授となる。翌年フランスに留学してラファエル・コランに師事、ヨーロッパ各国を見学して、1902年(明治35)帰国し東京美術学校教授となる。07年東京勧業博覧会で『某夫人像』が一等賞となり、また第1回文展から審査員を務める。12年、藤島武二(たけじ)と本郷洋画研究所を設立、のち帝国美術院会員、帝室技芸員となり、37年(昭和12)には第1回文化勲章を受けた。30年の第2回欧州旅行の目的は美術工芸の視察だったが、早くから工芸、図案などの発展に尽くしている。外光主義の風景画と、装飾的女性像に典雅な日本情趣を示した。代表作『ヨネ桃の林』『あやめの衣』『婦人半身像』ほか。昭和14年9月23日没。夫人の岡田八千代(小山内薫(おさないかおる)の妹)は小説家、劇作家として知られる。[小倉忠夫]
『『現代日本の美術7 岡田三郎助他』(1975・集英社)』

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世界大百科事典内の岡田三郎助の言及

【印象主義】より

…この新風は,96年,東京美術学校に西洋画科が設けられて黒田がその主任となり,またそれまでの明治美術会に対して黒田を中心とする白馬会が結成されるに及んで大きな力となり,従来の旧派,脂(やに)派に対して,新派,紫派と呼ばれて,その後の日本洋画の中心的傾向となった。この傾向は,黒田の弟子の岡田三郎助,和田英作(1874‐1959),湯浅一郎(1868‐1931),中沢弘光(1874‐1964),藤島武二らに受け継がれ,青木繁も,一時印象派風の海浜風景を描いた。明治末年になると,南薫造(みなみくんぞう)(1883‐1950),有島生馬,山下新太郎(1881‐1966)らの新帰朝者たちによってさらに刺激が与えられ,明るい色彩,大きな筆触を特色とする印象派風の外光表現は,日本洋画の確固とした一つの流れとなった。…

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