赤松 麟作
アカマツ リンサク
明治〜昭和期の洋画家
- 生年
- 明治11(1878)年1月20日
- 没年
- 昭和28(1953)年11月24日
- 出生地
- 岡山県津山
- 学歴〔年〕
- 東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科選科〔明治32年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 白馬賞〔明治35年〕「夜汽車」
- 経歴
- 明治37年大阪朝日新聞社に入社し、挿絵を担当。43年赤松洋画研究所を開き、佐伯祐三など多くの後進を養成した。昭和11年関西女子美術学校教授、17年校長、20年大阪市立美術研究所教授を歴任。代表作は「夜汽車」。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
赤松麟作
あかまつりんさく
(1878―1953)
洋画家。岡山県生まれ。1899年(明治32)東京美術学校を卒業、研究科に進むが、翌1900年三重県第一中学校の教員となる。1902年(明治35)第6回白馬会展に出品して白馬賞を受けた『夜汽車』は、外光派系初期の佳作風俗画として知られる。2年後に大阪朝日新聞社に入り挿絵を描き、1910年大阪・梅田に赤松洋画研究所を開設して後進を指導した。初期文展で褒状、光風会会員。1936年(昭和11)関西女子美術学校教授、1945年大阪市立美術研究所教授となり、1948年に関西洋画界育成の功により大阪府から知事文芸賞を受けた。
[小倉忠夫]
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赤松麟作 あかまつ-りんさく
1878-1953 明治-昭和時代の洋画家。
明治11年10月11日生まれ。35年白馬会展に「夜汽車」を出品,注目される。大阪朝日新聞にはいり,大正4年まで挿絵を担当。明治43年赤松洋画研究所を開設し,のち関西女子美術学校,大阪市立美術研究所の教授をつとめた。門下に佐伯祐三ら。昭和28年11月24日死去。75歳。岡山県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。
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赤松麟作【あかまつりんさく】
洋画家。岡山県生れ。1900年東京美術学校西洋画科卒。1902年《夜汽車》で白馬賞受賞。外光派の技法によりながら明治末日本の現実に肉薄している。1910年大阪に赤松洋画研究所開設,1936年には関西女子美術学校教授,1941年校長となり,関西の美術教育に尽力。
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赤松 麟作 (あかまつ りんさく)
生年月日:1878年1月20日
明治時代-昭和時代の洋画家。関西女子美術学校校長;大阪市立美術研究所教授
1953年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の赤松麟作の言及
【佐伯祐三】より
…洋画家。大阪市東淀川区に生まれ,中学在学中に大阪で赤松麟作(1878‐1953)の赤松洋画研究所に学び,川端画学校を経て,1923年東京美術学校を卒業,前年に結婚した米子(旧姓池田,洋画家。1903‐72)とともに渡仏。…
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