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赤松麟作 あかまつ りんさく

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美術人名辞典の解説

赤松麟作

洋画家。岡山県生。東美校卒。大阪に赤松洋画研究所を開設、後進の育成にあたる。関西女子美校校長も務める。白馬会所属。昭和28年(1953)歿、76才。

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百科事典マイペディアの解説

赤松麟作【あかまつりんさく】

洋画家。岡山県生れ。1900年東京美術学校西洋画科卒。1902年《夜汽車》で白馬賞受賞。外光派の技法によりながら明治末日本の現実に肉薄している。1910年大阪に赤松洋画研究所開設,1936年には関西女子美術学校教授,1941年校長となり,関西の美術教育に尽力。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

赤松麟作 あかまつ-りんさく

1878-1953 明治-昭和時代の洋画家。
明治11年10月11日生まれ。35年白馬会展に「夜汽車」を出品,注目される。大阪朝日新聞にはいり,大正4年まで挿絵を担当。明治43年赤松洋画研究所を開設し,のち関西女子美術学校,大阪市立美術研究所の教授をつとめた。門下に佐伯祐三ら。昭和28年11月24日死去。75歳。岡山県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

赤松麟作
あかまつりんさく
(1878―1953)

洋画家。岡山県生まれ。1899年(明治32)東京美術学校を卒業、研究科に進むが、翌1900年三重県第一中学校の教員となる。1902年(明治35)第6回白馬会展に出品して白馬賞を受けた『夜汽車』は、外光派系初期の佳作風俗画として知られる。2年後に大阪朝日新聞社に入り挿絵を描き、1910年大阪・梅田に赤松洋画研究所を開設して後進を指導した。初期文展で褒状、光風会会員。1936年(昭和11)関西女子美術学校教授、1945年大阪市立美術研究所教授となり、1948年に関西洋画界育成の功により大阪府から知事文芸賞を受けた。[小倉忠夫]

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世界大百科事典内の赤松麟作の言及

【佐伯祐三】より

…洋画家。大阪市東淀川区に生まれ,中学在学中に大阪で赤松麟作(1878‐1953)の赤松洋画研究所に学び,川端画学校を経て,1923年東京美術学校を卒業,前年に結婚した米子(旧姓池田,洋画家。1903‐72)とともに渡仏。…

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