日本歴史地名大系 「伊藤玄沢施薬所跡」の解説
伊藤玄沢施薬所跡
いとうげんたくせやくしよあと
家伝薬「養花散」で知られた御目見本道医師伊藤玄沢は字を子良・心斎と号し、無医の山間僻地にも施療の手を延ばした。宝暦五年(一七五五)一二月、藩主から毎年薬種料を受け、子孫に至るまで広く施薬せよと命じられた。屋上の「施薬」との看板に、「右はその身至てひんにして、びやうきのせつ、よるべもなく、くすりを用ひ候事も心にまかせざる人に、近来薬をほどこし来り候、然処此度 上よりも薬種料御めぐみくだされ候条、いよいよ遠慮なく施薬のぞみのびやう人まいるべく候、そのうち大びやうあるひは歩行かなはざるびやう人、ちかきところへは見まひ可申候、遠方にて見せ候事なりがたきものも、くわしくやうだいをきゝ、やうすしだひくすりをあたへ申可候」とあった(尾張名所図会)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報