日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊豆大島竜ノ口遺跡」の意味・わかりやすい解説
伊豆大島竜ノ口遺跡
いずおおしまたつのくちいせき
東京都大島支庁、大島町(旧野増(のまし)村)竜ノ口海岸の溶岩台地の海食断崖(だんがい)の溶岩下にある遺跡。ここには縄文中期後半の加曽利(かそり)E式土器の遺物包含層が露出し、1901年(明治34)坪井正五郎、鳥居龍蔵(りゅうぞう)らの調査により明らかにされ、当時、『東京人類学会雑誌』『東洋学芸雑誌』などの誌上にその調査成果が公表されている。遺跡地は大島の西岸、三原山噴火口の西方海岸に所在し、野増村落の南端から里道を約1キロメートル南下した海岸の溶岩断崖下にあり、今日でも崖下深く掘り込まれた包含層断面には土器片、獣骨片などが介在しているのが認められる。東京大学理学部人類学教室には鳥居博士調査の際に発掘した溶岩流出の際の強い火熱を受け全面赤褐色に焼け、もろくなった深鉢完形土器1個がある。この遺跡の状況からして、ここに縄文中期後半の人々が居住していたときか、他へ移った直後に三原山の大爆発があって、溶岩が覆ったものと思われる。溶岩流下の遺跡は、三宅(みやけ)島ツル根岬の弥生(やよい)文化遺跡などいくつか知られているが、数は少ない。
[江坂輝彌]