鳥居龍蔵(読み)とりいりゅうぞう

精選版 日本国語大辞典 「鳥居龍蔵」の意味・読み・例文・類語

とりい‐りゅうぞう【鳥居龍蔵】

  1. 考古学者。人類学者。徳島県出身。中国東北の考古学的調査に従事。燕京大学教授となり戦後帰国。日本石器時代人アイヌ説は有名。著「千島アイヌ」「上代の日向延岡」など。明治三~昭和二八年(一八七〇‐一九五三

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20世紀日本人名事典 「鳥居龍蔵」の解説

鳥居 龍蔵
トリイ リュウゾウ

明治〜昭和期の人類学者,考古学者 上智大学教授。



生年
明治3年4月4日(1870年)

没年
昭和28(1953)年1月14日

出生地
徳島県徳島市船場町

学歴〔年〕
観善小〔明治10年〕中退

学位〔年〕
文学博士(東京帝大)〔大正10年〕

主な受賞名〔年〕
フランス教育功労勲章(パルム・アカデミック)〔大正9年〕

経歴
小学校を中退して独学、明治19年16歳で東京人類学会に入会し、故郷の遺跡調査の結果などを雑誌に投稿。26年帝国大学理科大学(現・東大理学部)人類学教室の給士兼標本整理係となり坪井正五郎東大教授の指導を受け、考古学、人類学を研究。31年東京帝大理科大学助手、38年講師、大正11年助教授。のち12年国学院大学教授、昭和3年上智大学教授、14年燕京大学客員教授を歴任。この間、明治28年の中国・遼東半島調査を皮切りに、中国奥地やシベリアの研究旅行で貴重な成果をあげ、とくに西南中国の苗族(ミャオ族)など東アジアの研究で不朽業績を残す。また日本石器時代人・アイヌ説が有名。著書に「千島アイヌ」「有史以前の日本」「人類学上より見たる我が上代の文化」「考古学上より見たる遼之文化・図譜」、自伝「ある老学徒の手記」などのほか、「鳥居龍蔵全集」(全12巻・別巻1 朝日新聞社)がある。昭和40年鳴門市撫養町に徳島県立鳥居記念博物館が開設され、平成元年にはフィールド調査時に撮影された写真資料カタログが刊行された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鳥居龍蔵」の意味・わかりやすい解説

鳥居龍蔵
とりいりゅうぞう

[生]明治3(1870).4.4. 徳島
[没]1953.1.14. 東京
考古学者,人類学者。小学校中退後,独学で学んだ。坪井正五郎に認められ,東京帝国大学人類学教室の標本整理係となる。坪井の指導を受け,東大助教授,國學院大學教授,上智大学教授などを歴任。 1939~51年には燕京大学 (現北京大学) 客員教授として北京にあって研究を続けた。日本内地をはじめ海外の諸民族を精力的に調査。周辺諸民族の実態調査の先駆者で,その足跡は台湾,北千島,樺太,蒙古,満州,東シベリア,朝鮮,中国西南部など広範囲に及んだ。考古学的調査のほかに民族学的方面にも観察を怠らず,民具の収集も行ない,北東アジア諸民族の物質文化研究の開拓者となった。また,それらの調査を背景に日本民族形成論を展開,後世に影響を与えた。主著『千島アイヌ』 (1903) ,『苗族調査報告』 (1907) ,『有史以前の日本』 (1918) ,『日本周囲民族の原始宗教』 (1924) ,『人類学及び人種学上より見たる北東亜細亜』 (1924) ,『人類学上より見たる我が上代の文化』 (1925) などのほか自伝『ある老学徒の手記』 (1953) がある。没後 1965年鳴門市に鳥居記念博物館が創設された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鳥居龍蔵」の意味・わかりやすい解説

鳥居龍蔵
とりいりゅうぞう
(1870―1953)

考古学者、人類学者。日本における人類学の先駆者の一人。徳島市に生まれる。正規の学生ではなかったが東京大学で坪井正五郎に師事し人類学その他を学び、のち同大学助教授になった。国学院大学、上智(じょうち)大学の教授、中国の燕京(えんきょう)大学客座(客員)教授も歴任した。鳥居は大正時代における日本考古学の指導者であり、またモンゴル、中国東北地区を対象とする考古学の開拓者であった。民族学の分野でも、千島アイヌ、台湾原住民(中国語圏では、「先住民」に「今は存在しない」という意味があるため、「原住民」が用いられる)、中国のミャオ族の調査、さらに数系統の構成要素からなる日本民族文化形成論の展開など、功績が大きい。鳥居の学説の多くは、今日ではそのままの形では支持できないが、示唆や刺激に富むものが少なくない。

[大林太良 2018年12月13日]

『『鳥居龍蔵全集』12巻・別巻1(1975~1977・朝日新聞社)』

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