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坪井正五郎 つぼいしょうごろう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

坪井正五郎
つぼいしょうごろう

[生]文久3 (1863).1.5. 江戸
[没]1913.5.26. ロシアサンクトペテルブルグ
人類学者。1881年東京大学に入学,動物学を専攻したが,在学中から考古学,人類学に興味をもち,1884年日本人類学会の前身「じんるいがくのとも」を創設,1886年『人類学会報告』を発刊。

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デジタル大辞泉の解説

つぼい‐しょうごろう〔つぼゐシヤウゴラウ〕【坪井正五郎】

[1863~1913]人類学者。江戸の生まれ。東大教授。日本の人類学・考古学の創始者の一人。東京人類学会を創立。日本の先住民について、コロボックル説を唱えた。

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百科事典マイペディアの解説

坪井正五郎【つぼいしょうごろう】

人類学者。東京の生れ。モース大森貝塚の発見に影響を受けて考古学に興味をもち,人類学を専攻した。1884年人類学会(のち東京人類学会と改称)を創設し,縄文(じょうもん)〜古墳時代の研究に貢献。
→関連項目コロボックル鳥居竜蔵堀之内貝塚吉見の百穴

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

坪井正五郎 つぼい-しょうごろう

1863-1913 明治-大正時代の人類学者,考古学者。
文久3年1月5日生まれ。坪井信良(しんりょう)の子。明治17年東京人類学会を創設。欧米に留学後,帝国大学教授。人類学,考古学の発展につくし,日本先住民コロボックル説で知られる。大正2年5月26日死去。51歳。江戸出身。帝国大学卒。著作に「人類学講話」「埴輪(はにわ)考」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

坪井正五郎

没年:大正2(1913)
生年:文久3(1863)
明治時代の代表的な人類学者,考古学者。日本の先住民族アイヌの伝説に出てくるコロボックルであったと主張し,いわゆるコロボックル論争の一方の旗頭であったことは有名である。父は坪井信良。明治19(1886)年帝国大学理科大学生物学科卒業後,大学院に学び,次いでイギリス,フランスに留学した。25年帰国して帝大理科大学教授となり,新設の人類学講座を担当した。一方,19年に同志と共に東京人類学会をおこし,創始期の人類学,考古学の啓蒙普及に果たした功績はきわめて大きい。大正2(1913)年ロシアの首都ペテルブルクで客死。<参考文献>斎藤忠編『坪井正五郎集』(日本考古学選集2,3巻)

(永峯光一)

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世界大百科事典 第2版の解説

つぼいしょうごろう【坪井正五郎】

1863‐1913(文久3‐大正2)
人類学者。1884年,理科大学(現,東京大学理学部)在学中に,有志とともに人類学会を創立し,現在の《人類学雑誌》の前身にあたる雑誌を創刊した。86年,大学院に入って人類学を専攻し,88年夏には小金井良精とともに北海道アイヌの調査をおこなった。89年から3年間イギリスに留学し,もっぱら大英博物館図書館で人類学を学び,帰国後帝国大学理科大学教授となり,1913年ロシアで客死するまで,人類学教室を主宰した。

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大辞林 第三版の解説

つぼいしょうごろう【坪井正五郎】

1863~1913) 人類学者。江戸生まれ。東大教授。1884年(明治17)学友とともに人類学会を創設し日本の人類学・考古学の開拓者となる。日本石器時代人についてコロボックル説を主張。著「人類学叢話」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

坪井正五郎
つぼいしょうごろう
(1863―1913)

日本の人類学・考古学創始者の1人。江戸・両国に生まれる。父は蘭医(らんい)坪井信道(しんどう)の養子信良、母は信道の娘万喜子(まきこ)。1884年(明治17)東京大学理学部生物学科に在学中、学友とともに人類学会を創立し、86年『人類学報告』を刊行した。現在の日本人類学会、『人類学雑誌』である。89年からイギリス、フランスに留学し、92年帰国とともに理科大学(東大理学部)教授に任命され、翌年から新たに設けられた人類学講座を担当した。人類学、考古学、土俗学にわたって幅広い研究を行い、1100余編の論文を発表したが、なかでも東京都本郷弥生(やよい)町の向ヶ岡貝塚における弥生式土器の発見と報告、栃木県足利(あしかが)古墳の発掘で古墳研究の端緒を開いたこと、日本先住民はアイヌの伝説に残るコロボックルであるとしてアイヌ説に対する論陣を張ったことは有名。平易な文章と多数の講演を通して斯学(しがく)の普及に努めたことでも知られる。大正2年、ロシアのペテルブルグで開かれた国際学会出席中に客死した。[今村啓爾]

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世界大百科事典内の坪井正五郎の言及

【円筒埴輪】より

…いっぽう,円筒埴輪の起源については長い学史がある。1888年(明治21)坪井正五郎がはじめてこの問題をとりあげて,古墳の土留め用の柴垣を模倣したものであると説いた。そこで,坪井の柴垣模倣説の当否をめぐって,明治20~30年代に論争がおこった。…

【考古学】より

… 日本における科学的な考古学は,1877年,アメリカ人E.S.モース大森貝塚の発掘を行ったときに始まるとされている。86年,坪井正五郎らは東京大学理学部を中心として東京人類学会を結成,95年,三宅米吉らが帝室博物館を中心として考古学会を結成,この二つの組織が明治期の日本考古学を推進した。当時は,石器時代と以後の時代の間に人種の交替があったと考えられており,日本の先住民族はアイヌか非アイヌかという問題をめぐって論争が交わされたが,資料操作の方法が未熟で問題の解決にいたらなかった。…

【コロボックル】より


[コロボックル論争]
 コロボックルの名は,すでに寛政年間(1789‐1801)から文献に現れるが,明治時代の中期以降,日本人の起源をめぐる論争の中で脚光を浴びることになる。すなわち人類学者坪井正五郎は1887年,石器時代の日本列島に住んでいたのは,このコロボックルであると発表し,さらに彼らはエスキモーに近い人種であったが,アイヌに追われて姿を消したと説いた。当時の学会では日本の石器時代人はアイヌであるとする,P.F.vonシーボルト以来の学説が主流を構成しており,この説に立つ白井光太郎,鳥居竜蔵,小金井良精らと坪井との間で,はげしい論争が展開された。…

【縄文文化】より

…また一墓域内で,土壙の長軸や頭位を異にする場合,抜歯様式によって小群を形成する場合,男女の埋葬地点が区別される場合などがあり,いずれも縄文人の出自や社会組織・構造などを反映しているものとみられる。
[縄文人]
 坪井正五郎はアイヌ神謡に登場するコロボックル(フキの下の小人を意味する)こそが縄文文化の担い手であり,やがて北方に追放されてしまったとする。小金井良精は,縄文時代にはアイヌが先住していたが,移住者によって北海道に押しこめられたというアイヌ先縄文説を唱えた。…

【城山古墳】より

…墳丘に葺石(ふきいし),埴輪をそなえる。1912年に後円部から,竪穴式石室に長持形石棺をおさめた埋葬施設が発見され,副葬品がとりだされたのを機縁に,坪井正五郎が実地調査した。副葬品には鏡,玉類,碧玉製腕飾類,滑石製模造品,金銅製弭(ゆはず),銅鏃,巴形銅器,短甲,刀剣などがある。…

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