新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「伊達宗徳」の解説 伊達 宗徳ダテ ムネノリ 肩書宇和島藩知事 生年月日天保1年閏3月27日(1830年) 経歴天保8年宇和島藩主伊達宗城の養嗣子となり、安政5年宗城が大老井伊直弼との政争に敗れ隠居、謹慎処分にされたため襲封。しかし藩政主導は避け、専ら内外で雄藩連合樹立をめざす宗城を補翼した。明治2年藩知事に就任、4年廃藩により免官された。17年伯爵、24年侯爵。 没年月日明治38年11月29日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊達宗徳」の解説 伊達宗徳 だて-むねえ 1830-1905 幕末-明治時代の大名,華族。文政13年閏(うるう)3月27日生まれ。伊達宗紀(むねただ)の3男。伊達宗陳(むねのぶ)の父。義兄伊達宗城(むねなり)の養子となり,安政5年伊予(いよ)(愛媛県)宇和島藩主伊達家9代。明治24年侯爵。貴族院議員。明治38年11月29日死去。76歳。初名は紀周,宗周。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by