会沢信彦(読み)アイザワ ノブヒコ

20世紀日本人名事典 「会沢信彦」の解説

会沢 信彦
アイザワ ノブヒコ

明治・大正期の教育家 竹田女学校創立者。



生年
文久2年8月(1862年)

没年
大正11(1922)年2月15日

出生地
豊後国直入郡豊岡村(大分県)

学歴〔年〕
大分師範学校〔明治15年〕卒

経歴
豊後岡藩士の家に生まれ、藩校で学び、明治15年大分師範学校を卒業。大野郡大木学校、大分学校の訓導を経て、直入郡高等小学校(竹田高等小学校)の訓導兼校長、30年大分高等小学校訓導兼校長となり、31年から大分尋常小学校校長を兼任。同年再び直入郡高等小学校の訓導兼校長に就任し、41年に廃校となるまで20余年校長を務め小学校教育に当たった。その後、直入郡立女子実業補習学校校長を務め、大正5年私立の竹田女学校を設立、女子教育の発展に尽力した。この間、直入郡教育会長を15年間務めたほか、育英会評議員、教育修養団委員などを歴任し大分県知事・帝国教育会・文部大臣から表彰された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「会沢信彦」の解説

会沢信彦 あいざわ-のぶひこ

1862-1922 明治-大正時代教育者
文久2年8月生まれ。父は豊後(ぶんご)(大分県)岡藩士。藩校でまなび,のち大分師範を卒業。明治41年まで竹田高等小学校長を20年余つとめ,大正5年竹田女学校を設立した。大正11年2月15日死去。61歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android