藩校(読み)ハンコウ

大学事典 「藩校」の解説

藩校
はんこう

江戸時代,諸藩によって設立された藩士の子弟を対象とする教育機関で,藩黌,藩学,藩学校などとも呼ばれた。狭義にはおもに儒学を教える学校であり,広義には医学校・洋学校・国学(皇学)校・郷学校・武芸学校などを含む藩立学校の総称。寛政期(1789-1801)以降,各藩が藩政改革のために人材養成に力を入れ,ほとんどの有力大名が藩校を設けるようになった。1867年(慶応3)までに少なくとも219藩で開設され,幕末にはそのうちの約200藩で藩士の子弟の入学が強制されるようになった。入学年齢は10歳以上が多かったが,幕末になると7,8歳に低下する傾向が見られた。一部の藩では庶民の入学を認めた。通学生が主で,一部寄宿生も置かれた。素読・講義・会読・臨講などさまざまな教育方法が用いられ,等級制を設けた藩校も多かった。受講料を徴収しない場合がほとんどで,学田や藩費で経費をまかなった。1871年(明治4)廃藩置県で廃止された。藩校の中には,明治以降の学制で旧制高等学校母体となり現在の地方の国立大学に繫がっているものや,旧制中学校の母体となり現在の高等学校に繫がっているものなどがある。
著者: 冨岡勝

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藩校」の意味・わかりやすい解説

藩校
はんこう

藩学ともいう。江戸時代に諸藩が藩士の子弟の教育のために設けた藩の直轄学校。教育の内容は漢学,特に儒学を主としたが,幕末には国学,洋学,医学などを授けるものも増加し,また武芸をあわせ授けるものも多かった。明治維新当時の 276藩のうち 215藩が藩校を開設していたことがわかっている。明治維新後に制度改革を行なったものも多いが,廃藩置県により廃止された。その後,これを母体とし,あるいはその伝統を継承して中学校 (旧制) などが設立され,また地方の代表的な小学校となったものも多い。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「藩校」の解説

藩校
はんこう

江戸時代,諸大名が設置した藩営の学校
「藩学」ともいう。主として藩士の子弟を教育する機関で,漢籍・国学・医術・武芸など一般教養を教授した。江戸中期以降その数は急速に増加し,江戸時代を通じ二百数十校を数える。幕末には蘭学・英学・洋式砲術などを採用。代表的なものとして岡山藩花畠教場,会津藩日新館,米沢藩興譲館,長州藩明倫館,熊本藩時習館,薩摩藩造士館などがある

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「藩校」の意味・わかりやすい解説

藩校 (はんこう)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

防府市歴史用語集 「藩校」の解説

藩校

 江戸時代に藩が武士やその子供の教育のためにつくった学校です。萩藩では1719年に、萩に明倫館[めいりんかん]がつくられました。

出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報

世界大百科事典(旧版)内の藩校の言及

【学校】より

…これは,市井の学者による批判を受けながらも,幕末の国学,蘭学の高揚を迎えるまで権威を保ち続けた。江戸時代の学校としては,このほか,藩校(藩黌,藩学),郷学私塾,寺子屋などがあり,戦乱のない社会で,それぞれ発展した。藩校は各藩が藩体制強化のため武士の子弟に儒学と武道を教授することを目的として設置された。…

【藩学】より

…藩校,藩学校ともいう。江戸時代に諸藩が設立した藩士およびその子弟の教育機関。…

※「藩校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

ドクターイエロー

《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...

ドクターイエローの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android