会津藩士墓(読み)あいづはんしのはか

日本歴史地名大系 「会津藩士墓」の解説

会津藩士墓
あいづはんしのはか

[現在地名]利尻郡利尻町沓形字種富町

種富駐車たねとみちゆうしや公園にある。町指定史跡。一八〇八年(文化五年)蝦夷地警固の一貫として樺太警固を終えて出帆した観勢丸が、七月一一日に利尻島リヤコタン(現沓形字種富町)に漂着した。船中で亡くなっていた諏訪幾之進光尚、山田重佐久が漂着地点に葬られた(「出陣記」市立函館図書館蔵)。大正一五年(一九二六)七月、日蓮宗説教所の中村雪堂、タネトンナイ有志、青年団員によって藩士二人の供養祭と墓地の改築式典が行われた(会津藩士墓地改築寄付簿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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