会賀庄(読み)えがのしよう

日本歴史地名大系 「会賀庄」の解説

会賀庄
えがのしよう

会賀牧内に成立したとみられるが、所在地は不明。文治二年(一一八六)四月八日の醍醐寺文書目録(醍醐雑事記)に「冷泉院会賀御庄牒一枚志紀渋河等流害田事 長保六年三月一日」とあり、長保六年(一〇〇四)以前に後院領として成立していたとみられるが、その経緯などはわからない。同目録にはほかに「会賀下文野宮作料米免除事 天治元年八月十日」「会賀公事免除下文并証文等廿通」「郡庄御佃兼次所進券文四通内(中略) 一枚会賀下文 同年(長寛二年)八月廿七日」などの記載もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む