伴野原遺跡(読み)とものはらいせき

日本歴史地名大系 「伴野原遺跡」の解説

伴野原遺跡
とものはらいせき

[現在地名]豊丘村伴野

飯田市東方の天竜川左岸の第五段丘には遺跡密度の濃い田村原たむらはら林原はやしはら・伴野原・帰牛原きぎゆうばら伊久間原いくまはらなどの遺跡が上流から連続して並んでいる。本遺跡もその一つで、北にあぶ川、南に壬生沢みぶざわ川が比高七〇メートルをもって西流する標高約五三〇メートルの段丘上に立地し、その範囲は数ヘクタールに及ぶ大集落跡である。

昭和五一年(一九七六)住居跡九〇軒、土壙二四のほか多数の遺物が検出された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む